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中日文化交流:教养问题

东京博士 (发表日期:2007-02-17 12:03:12 阅读人次:5470 回复数:31)

  日本人楠先生——

  
想问一下有关中国的[教养]的事。

  
在日本所谓人文性的教养---比如,哲学,文学---就是说不是对找工作直接有利的东西,现代有显著的被轻视的倾向。

  
中国人和在日中国人据我所知,对科学技术,工作方面关心得人很多,对文化真正表示关心的中国人千人里是否有1人的感觉。(也即目前为止还没有碰上1人)。

  
中国国内是怎么样的?实际上是如何感觉的?也是功利主义蔓延?另外在中国教养是如何被重视的?教养是如何养成的?

  
——————————————————————————————————————

  
中国における「教養」についてお聞きします。

  
日本では、いわゆる人文的教養---例えば、哲学、文学---は、どちらかというと、

  
就職に有利なものではありませんから、現代では軽視される傾向が顕著です。

  
中国人も、在日中国人で私が知る限りでは、科学技術、ビジネスといった実用的な

  
関心が圧倒的に多く、文化に真剣な関心を持つ中国人は、千人に1人もいないという

  
のが実感です。(つまり、これまで1人も会ったことがない。)

  
中国国内ではいかがなものでしょうか。実感として、どう感じられているでしょう

  
か?やはり功利主義の蔓延があるでしょうか?

  
また、中国では、教養があることは重視されていますか?また、教養というのは、

  
どういうことを身に着けているのが教養でしょうか?

  





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 回复[1]:  东京博士 (2007-02-17 13:12:07)  
 
  东京博士——

  
以前的中国,与找工作无关的东西也在家里或私塾里学的。琴棋书画必须会一点。

  
众所周知,科举制度在中国有着很长的历史,那不是注重科学技术,商务工作,而是拼命钻研文科,只要当了官就可。所谓[吃得苦中苦,方为人上人]。于是主要是靠读书获得教养。

  
具体的是传统的家庭教育,规矩为主要形式。 理解这些可以参考看当代中国文豪巴金的[家],[春],[秋]三部曲里有详细描写。

  
现代中国与日本一样对教养有轻视的倾向,在科学技术方面由于社会长期的动乱,造成了人们自然地朝着那个方向发展。但是在自由恋爱的今天如果是认真考虑结婚的男女双方的话,他们本人和父母难道不是很重视对方教养的吗?

  
据我所知在上海等大城市因为长期采取独生子女政策,女孩学钢琴,男孩学绘画就是为了获得教养,很多家长并不是希望自己的孩子将来成为钢琴家或毕加索。因此,一个时期上海市内的钢琴都卖空了,当然这不代表教养的全部。

  
经济富裕的家庭也让孩子学习与工作无关的东西,家庭里教比如筷子的用法,待人接物等等。这样的家庭是根本不允许孩子吃饭时和果汁,可乐的。当然也不允许站着吃饭,因此中国没有一家像日本那种站着吃的面店。要是在农村,可以看到端着饭碗串门谈天地吃饭。

  
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昔の中国、就職に使わないものも家庭(塾)で習っていた。 琴書棋画をどれかが出来なければいけない。

  
ご存知の通り、科挙制度の長い中国は科学技術、ビジネスより文系のほうが一生懸命1人前になれば、つまり官僚になれるし、いわゆる、「吃得苦中苦、方為人上人」=苦の中の一番を味わえば、万人の上の人になれる意味。そこで、主に読書から教養を身に付けることになる。

  
具体的に伝統な家庭教育、しつけが主な形。それらを理解するには中国現代文豪巴金の「家」、「春」、「秋」三部の長篇小説に細かく書かれている。

  
そして現代中国は日本と同じく教養を軽視する傾向があり、科学技術の面は動乱社会が長い分立ち遅れ、人々が自然にあっちへ向くのはその背景であり、しかし、自由恋愛になったいまの時代はやはり結婚を真剣に考え始めた男女、そしてその親が一番気になるのは日本も中国も相手の教養ではないでしょうか?

  
私の知っている上海あたりの都会は一人子の政策が長く取ったせいもあるが、 女の子ならピアノを、男の子なが油絵、水彩絵など習わせたりするのも一種の教養のステータスのため、大勢の親が別に自分の子供にピアニスト、ピカソを望んでいると思えない。そのため、上海市内有名なグランドピアノがいつも品切れ。

  
それはもちろん教養の全部ではないが、経済の裕福な家庭ならほとんど就職に 直接関係ないことも子供に習わせている。家庭ではお箸の行儀、人との挨拶などもしつけする。

  
そういう家庭は、食事中に子供がコーラ、ジュースを飲むことさえ許せない。立ち食いは言うこともない。だから中国は立ち食いそばのようなお店は一軒もない。田舎に行けば、隣人の家まで歩き、雑談しながら食事をすることも珍しくない。

 回复[2]:  东京博士 (2007-02-17 13:14:48)  
 
  日本人楠先生——

  
说起日本,明治以前武士阶级是琴棋书画(和中国的顺序不同?)还读汉朝的古典书。因此与其他阶级的教养有了很大的差别。

  
明治以后,四民平等。国民都上学,在识字上没有了差别。但是进入高等学校的也不满1%,因此所谓思想,除了上层人物是谈不上的。就是说教养是上流阶级的证明。

  
到了现代,现在同年龄层中50%是受过高等教育的。扔块石头可以砸到大学生的时代大家对康特,孟子的名字都知道,毫无深奥的恐惧。可是,如果被问到读了这些又怎么呢?谁都难以回答。

  
所以对很多人的教养起不了什么作用,又靠它吃不了饭,觉得有病。但是另一方面,作为生活的伴侣,也很讨厌老是看体育新闻报的人。这样的感觉东京博士批评的很在理。作为一个人,还是教养高一点好。但是这种教养到底是什么呢?

  
能够说很多电影的话题?有音乐细胞?还是拥有自己的思想?难道中国有很多年轻人在读学业以外的枯燥的书吗?

  
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日本の話でいいますと、明治以前は、武士階級は琴棋書画(中国と順番違いますね。中国では琴書棋画ですか?)がたしなみ、そして漢籍の古典が読めた。(これによって他の階級との教養の大きな差をつけたのです。)

  
明治になって、四民平等。国民皆学で、文字の読み書きでは差がつけられなくなった。でも、高等学校に進学するのは1%未満、だから思想的なことは、エリート以外には無理でした。つまり教養が、上流階級の証しになっていた。

  
そして現代。今や同年齢層の50%が高等教育を受ける。石を投げたら大学生に当たる時代。みんなカントとか孟子とか、名前ぐらい知ってて、それだけでは恐懼しなくなった。しかも、そんなもの読んで何の役に立つの?と聞かれると、誰も返答に窮する。だからほとんどの人が、教養は役に立たない、メシがくえない、ウザイという感覚を持つわけです。

  
しかし一方、生涯の伴侶が、スポーツ新聞ばかり読んでいる人間じゃ嫌だ、という感覚も、東京博士が指摘したように、確かにある。やっぱり人間として、教養が高いほうがいい。では、その教養は、どんなことをいうのですか?

  
映画について、いっぱしのことを言えること?音楽の趣味がたかいこと?自分の思想を持っていること? カタイ本を読むことは、多くの若い中国人はしますか?(学業以外で。)

  

 回复[3]:  东京博士 (2007-02-17 12:19:57)  
 
  东京博士——

  
中国也是说琴棋书画的。 楠先生说的现在的日本人谈起这些就被认为是有病我很理解。那就说说中国与日本的不同之处吧。

  
中国到底是发明活字印刷的国家,教科书和出版物与日本相比,方块字是绝对多数。按日本人的感觉读着很枯燥的我也能理解,但是中国人从小就是在到处是方块字的世界里,不,是只有方块字,所以这方面的感受有点不一样吧。

  
来日本以后当日语还不怎么会时,好几次被人说[XX,你阅读速度真快啊]。当然那时日语还不能100%的理解,但是阅读大片的汉字的速度我想中国人肯定要比日本人快得多。这只是在受过同等教育的人之间的比较,教育的普及在中国的城市与日本相仿。与我考大学那时的30取1相比,现在是位数不同了,在中国的大城市随便扔一块石头也是可以不稀奇地砸到大学生的,我认为是经济的发展和人口政策的原因吧。

  
关于教养,虽然没有什么上流阶级,但是家庭环境是很重要的,看看中国的古装戏,[红楼梦],[梁山伯与祝英台]等名著大致上可以知道与楠先生介绍的以前的日本很类似。

  
________________________________________________

  
中国も琴棋書画と言いますよ。

  
楠さんが言った今の日本人のこれらを知って言って、話題にするのはウザイのがよく

  
分かる。中国と日本の違いだけ言います。

  
やはり中国は活字を発明した国で、教科書も出版物は日本に比べ、四角の文字が圧倒的

  
に多い。日本人の感覚でこれらを読むと硬い感じをするのは理解できますが、中国人は小さいごろから漢字ばかり、いや、漢字しかないから、少しそこら辺の感覚が違うよね。

  
日本に来てまだ日本語がそれほど上手ではない時期、「XXさんの文書読むスピードが速いですね」と何回か言われたことがある。もちろんあの時日本語を100%理解できたわけではないが、 漢字の集合体を読みとるスピードがおそらく日本人より中国人のほうがずっと早いと思う。

  
ただし、その話しは同等な教育を受けた人の話です。教育の普及は中国の都会なら、日本と同じく私の大学受験倍率30に対して、いま桁違いで、中国の大都市も石を投げれば大学生にあたるほど珍しくなくなってきた。経済の発展と人口政策、この二つの原因だと思われる。

  
教養について、上流階級とは言わないが、やはり家庭環境が一番大きい、中国の時代

  
劇や、 「紅楼夢」、「梁山伯と祝英台」などの名著を見れば大体楠さんが紹介した昔の日本と似ていますね。

  

 回复[4]:  东京博士 (2007-02-17 12:22:23)  
 
  日本人楠先生——

  
至今为止同各种各样的中国人一直讨论下来,同是这样一个类型。

  
中国人:日本人不分黑白很不好

  
日本人:不必分黑白的东西也有的啊

  
中国人:日本没有原则

  
日本人:好了好了,别搞得这么僵化嘛;

  
这种应酬很突出。中国人喜欢讲原则是很有名的(坏名声很大)。

  
但是对日本人来说不可理解的是,中国有[马马虎虎],[差不多]等很粗糙的地方,说实话,喜欢认真的日本人简直无法忍受,这么看来不是完全相反了吗?

  
应该如何看这个问题,能稍微整理一下吗?

  
————————————————————————————————

  
これまでいろいろ中国人の方と議論を重ねてきましたが、1つのパターンとして

  
中国人:日本人は、白黒はっきりさせないのがよくない

  
日本人:白黒はっきりさせられないものだってある

  
中国人:日本には、原則がない

  
日本人:まあまあ、そんな固いこと言わないでサ;

  
といったような応酬が目に付きます。中国人の原則論好きは有名(悪名高い)ですね。

  
しかし日本人にとって不可解なのは、中国には「馬馬虎虎」とか「差不多」とか、かなりいい加減なことを許容する伝統もあり、それが、正確、几帳面を好む日本人には耐えられないところにもなっているわけですが、そうしてみると関係が逆転してますね。

  
どう考えたらいいものか;少し理論的に整理できますか?

  

 回复[5]:  东京博士 (2007-02-17 12:28:55)  
 
  东京博士——

  
中国人从小就在家庭,学校被教育好的就说好,坏的就说坏。[是非分明],[爱憎分明]

  
就是典型的话。

  
在日本,日语本身就是不用柔软的话包装就不像日语。外国人学日语时,入门以后要想再提一步,首先不是日语的问题,看他如何像日本那样使用柔软的表现,有时要故意模糊概念是一个很重要的关键。当知道了这一天的到来,我的日语的句尾的断定行一下子就减少了。当回答[明天一起去吗?]的时候,不再说[去啊],而说[想去啊]。如果是被问[明天你有空吗?],就不说yes ,no,而用暧昧的[再联系吧]来活用。另外还有[可能吧]也常作为模糊语言的[调味料]。

  
中国社会的所谓原则的东西很明确。原则本身没有死板和灵活,是无法忍让的。不然还叫什么原则?

  
中国在历史上长期推行科举制度,对文科很严密,而对理工科比较[马马虎虎]。这也是造成近代工业革命落后的原因。而且到了社会主义阶段平均主义泛滥,那个时代的人们做不做一个样,这样更助长了[马马虎虎]。

  
但是,随着最近的中国改革开放和加盟WTO,目标对准了ISO认证等国际标准的质量,[马马虎虎]也就很难再生存,在市场经济带来的竞争机制中消亡的日子也不远了。中国人的生活,价值观也在不断地变化。

  
——————————————————————————————

  
中国人は小さいごろからいいことはいい、悪いことが悪いとはっきりした教育が家庭や、学校に教えてもらった。 「是非分明」、「愛憎分明」はその典型的な言葉。

  
日本は日本語自体がやわらかく包まないと日本語らしくないと言われている。外国人が日本語を習うとき、入門してから次のステップに上がるため、まず日本語そのものよりは、どれほど日本人と同じように言葉の表現をやわらかく包むか、場合によって、ぼかし入れは大きなポイントになるのような気がします。それを分かった日から、私の日本

  
語の語尾の「です」が急激に減った。「明日一緒に行きますか」と聞かれたら、「行きます」とはいわなくなった。替わりに、「行きたいですね」にした。「明日の都合はどう?」の答えも、yes、noではなく、「また連絡するよ」といった曖昧な答えもうまく使えるようになった。 それ以外に「かもしれない」も愛用するぼかしの「調味料」ですね。

  
中国社会は原則的なものがはっきりしています。原則問題は硬いやわらかいではな

  
く、譲れないことです。そうじゃなければ、原則とはいえない。

  
中国は歴史上に科挙制度の時代が長く、文系が厳密だが、理工系のほうが「馬馬虎虎」、これは近代になって工業革命の立ち遅れの原因でもある。 そして社会主義になって平均主義が氾濫し、あの時代に人々が仕事をやっても、やらなくても評価がさほど変わらないので、このような「馬馬虎虎」文化を一層助成してしまった。

  
しかし、最近の中国は改革開放、WTO加盟によって、ISO認証など品質を国際基準に目標したため、「馬馬虎虎」が自然にどんどん存在しにくくなるし、市場経済の競争原理の

  
中に消える日が遠くないし、中国人の生活、価値観も大きく変わりつつであるでしょう。

  

 回复[6]:  东京博士 (2007-02-17 12:31:36)  
 
  日本人楠先生——

  
东京博士的日语体验内容真有趣。说日语像在演戏。语言是集文化,传统,精神大成的东

  
西。我认为比较语言是很有意义的。

  
「明天去吗?」「啊」

  
「撒谎不好?」「是啊」

  
「没搞错?」「大概吧」

  
这种模糊回答是因为有理由。这方面日本人可不会让步。

  
日本的文化,在语言中有模糊,余白,余韵,间隔是很重要的。与其说是

  
不严密还不如说是感受和体现真实。。。

  
中国我觉得也有这样的传统要素,这是很好的,但是现在正在逐渐减少。

  
我觉得共产主义的意识形态,科学思考有其负的方面。教条主义,墨守成规,这是让生命僵化,失去通融性,难道不是损害圆滑融洽的吗?

  
----------------------------------

  
博士の日本語体験の話がとても面白い。日本語しゃべるとちょっと演技しているような感じですかね。言語は、文化、伝統、精神の集大成のようなものだから、言語比較はとても意味があると思います。

  
「明日行くか?」「はあ」

  
「嘘つくのは悪いか?」「まあ」

  
「間違いないな?」「たぶん」

  
このようにぼかすのは、理由があるからです。そこは、日本人が譲れない。

  
日本の文化は、言語のみならず、ぼかし、余白、余韻、間(ま)がとても重要です。それは、いい加減というより、そっちのほうが真実を体現していると感じるから

  
中国にも、そうした伝統的要素があるのに私は気づいています。それがとても素晴らしい。しかし今、それが減ってきている。

  
私は、そこに共産主義イデオロギー、科学的思考の負の面を見るような気がします。教条主義、杓子定規---それは生命を硬直化させ、融通性、しなやかさを損ないませんか?

  

 回复[7]:  东京博士 (2007-02-17 12:34:01)  
 
  日本人楠先生——

  
女性居多不得不忌讳的话题,那就失礼了。前些天在别的网站上,一个中国人发言者为了骂倒日本,举了几个日本的社会现象,一开始就是“日本人到处站着小便。”

  
这引起了我的注意。东京博士也对此用过相当生动的文采进行了讽刺挪揄。大概对站着小便的拒绝感,中日有相当大的温度差。我也在晚上一年听到2次左右的面对居住地墙角,醉醺醺的人大声地在这么干,真讨厌,对其是苦笑,真不可救药。

  
中国人好像把此认为不是人干的事,这么严重的侮辱感觉吗?

  
————————————————————————————————

  
女性が多そうなので、ちょっと憚られますが、無視できない側面なので、失礼しま

  
す。

  
先日、別のBBSで、一人の中国人の発言者が、日本社会を罵倒するのに、幾つか

  
の社会現象を挙げたのですが、その筆頭が、 「日本人は立小便をする」というものでして、これに私は注目しました。東京博士からも、これについてのかなり生彩ある文学的揶揄があった。

  
多分、立小便についての、拒否感に、中日で相当温度差があると思いました。私などは、夜中、家の生垣に向かって、酔っ払いが盛大にやっている音を1年に2回くらい聞かされ、いやはいやですが、しようのない奴だな、という苦笑程度の拒否感です。

  
中国人は、何か、それが人間のやることじゃない、というほどの侮蔑があるように

  
感じましたが、如何?

  

 回复[8]:  东京博士 (2007-02-17 12:44:23)  
 
  东京博士——

  
男人嘛,站着小便大概是万国共通的。

  
日本在经济方面毫无疑问是先进国。认为经济先进的话,所带来的精神文明和文化方面

  
也不会是落后国的认识是一致的吧?

  
包括我在内,中国人就是这么痛烈地批判日本的不好的部分也丝毫没有动摇过承认日本

  
是先进国的想法。但是在我们所知道的先进国中没有一个国家是像日本这样把到处乱小便作为这么一般化的问题来提起的。

  
日本的到处小便是与性文化,男人之上社会,近代的经济富裕带来的以自己为中心,自我放纵的表现有着紧密联系的。而且男人认为工作卖力过了,其他地方无视别人发散一下也无妨,这也是一种回归自然?

  
去中国农村确实是很随便的可以这样的,其实像厕所的厕所都不大有,直接浇灌有机肥也没什么奇怪的。简直就是[大地皆我厕所!],但是,不管其教育水准如何避人眼目是当然的,例外的只有小孩。以前在外地经常可以看到。

  
站着小便本身中国人没有什么抵抗,不管场所,这么做的人的样子,作为先进国的日本,从日本人平时讲礼仪来看,背叛了全体的印象,因此就产生了想批判的情绪。

  
可能是玩笑话,以前问过日本人为何在繁华的大街上乱小便,其曰,那是男人的宝贝物,不能憋坏了,忍着会搞坏的,是生理现象有什么大惊小怪的?

  
我的疑问是日本的大人的生理忍耐力这么短吗?到处都是店,公共厕所也不少,为了上

  
厕所,去快餐店花200日元的咖啡钱借用一下的经济能力日本人还是有的,因此怎么想都觉得不可思议,唯有这个时候,日本的礼仪和教养跑到哪里去了?

  
——————————————————————————————

  
男性なら、多分立ている「小」を済ますのは万国共通だ。

  
日本は経済の面から間違いなく先進国、経済が先進国で精神文明、文化の面がとても後進国はまずないだろうという認識を一致しませんか?

  
私を含めて、あのぐらい日本の変なことを痛烈に批判しても、中国人たちは日本が先進国であることを認めるのが少しも揺れていません。

  
しかし、先進国の中に我々の知っている限り、日本ほどあの下品な立小便はほかの国がこのように一般化された問題はありません。

  
日本の立ち小便は性文化、男性至上、そして近代の経済が豊かにつれてきた自己中、自己放縦の表れだと思う。そして、男性が仕事をがんばった分、それ以外のところの他人無視の一種ストレスの発散、これも自然回帰の解釈で社会に納得させるつもりでしょうか?

  
中国は田舎にいけば、確かに立ち小便も平気だし、そもそもトイレらしいトイレもない

  
から、畑に直接に有機肥料を掛けても別に何も変なことでもない。まさに大地、俺のトイレだ!

  
しかし、やはり人目のあるところはその人の教育レベルに関係なく、まず立小便はしな

  
い。その例外は子供、以前よく地方で見られる。

  
立小便自体は中国人が特別に抵抗感があるわけではないが、場所を選ばず、やる人の

  
格好、 日本という先進国、そして日本人の礼儀正しさから、全体のイメージに大変な裏切る行為になってしまう、それを批判したくなる最大な原因でしょう。

  
冗談かもしれないが、以前日本人になぜ繁華街で立ち小便するかと聞いたら、男性器は神様がくれた宝ものだから、我慢すると壊れてしまう、だから生理現象、何がおかしい?

  
疑問に思うのは、日本の大人の生理的な我慢がそれぐらい短いのものなのでしょうか?そもそもお店が沢山あるし、公衆トイレもなくはないのですが、トイレに行くため、ファーストフード店に200円のコーヒー代を払ってもトイレを借りに行く、日本人は平均的にこのぐらいの経済力を持っている、そこから考えると不思議で仕方がない。その時だけ日本の礼儀や教養がどこへ行ってしまっただろう?

  

 回复[9]: 向东博拜年。猛看“教养问题”, 龍昇 (2007-02-17 13:00:53)  
 
  吓我一跳,以为是“劳动教养”。读完了,说的好。是不是还没贴完?

 回复[10]:  吴卫建 (2007-02-17 13:09:13)  
 
  哈哈,大年三十的,让龙兄大大滴受惊了,这么多年过去了,你对“教养”一词还是很敏感呵,

 回复[11]:  东京博士 (2007-02-17 13:10:21)  
 
  龍爷新年好!

  
这个讨论已经结束,另外还有一次讨论,也是涉及现代人的教养问题的,今天没时间了,要出门去吃年夜饭,回来开新帖。

 回复[12]:  小林 (2007-02-17 13:20:53)  
 
  这么早就吃年夜饭?小心胃!!!博士以后得练习卡辣OK了!

  

 回复[13]:  东京博士 (2007-02-17 13:21:20)  
 
  龍爷说的其实不是中日共同含义的“教养”,应该是“教化”,呵呵。

 回复[14]:  东京博士 (2007-02-17 13:31:16)  
 
  咳,小林同志跟俺咬文嚼字,“现在出门去吃年夜饭”,不是“现在就吃年夜饭”。

 回复[15]:  小林 (2007-02-17 13:40:26)  
 
  我是关心您那!再说日本有什么好吃的?

 回复[16]: 难怪,后遗症不轻。 龍昇 (2007-02-17 13:41:30)  
 
  一年遭蛇咬,十年怕井绳。

  
今晚不食肉,专吃忆苦饭。

  
明早挖荠菜,包个大馄饨。

  
要说那教养,知书更达礼。

  

 回复[17]:  东京博士 (2007-02-17 13:44:32)  
 
  呵呵,日本好吃的地方不少,而且不仅仅是吃,昨晚开车经过六本木,火树银花啊,虽然上班离开那里不远,真的在东京塔下看,才觉得非常漂亮。旧景新鲜啊。

 回复[18]: 教养与教养 红叶 (2007-02-17 13:50:51)  
 
   拜读了,收获多多!

  
嘿嘿……日文中的“教养”在汉语中是否应该说是“修养”?不是吗?而汉语里的“教养”应该说是日语里的“躾”……如有失礼,敬请谅解哦

 回复[19]:  小林 (2007-02-17 13:51:52)  
 
   不知从什么时候开始,“千里冰封,万里雪飘”的故乡-北国,却渐渐地雪越下越小、越下越少,以至于现在成了稀有物种。每到冬天千呼万唤也不肯下来,即便下来了,也不肯纷纷扬扬地铺天盖地一番。没有雪的覆盖,“年”的颜色也随之变得越来越深,越来越脏,土呛呛,灰蒙蒙,不再清亮,不再明净。这样的“年”在我的心里失去了几分圣洁、几分畏惧。

  
现在过年主要任务是犒劳自己,又狂欢,又醉酒,又胡闹,又糟蹋……

  

 回复[20]: 教养与教养 薛东方 (2007-02-17 15:03:07)  
 
  楼主很牛气,可以给日本人上点“教养”课。

  
同意中文中的“教养”应该是“修养”。如果说楼主没有“教养”,大概要火冒三丈了;说句没“修养”,是否还能冷静的争论呢?

  
比喻的不合适,冒失了,失敬。

 回复[21]:  麦田 (2007-02-17 15:19:00)  
 
  

  


  


  
那只猪乖乖真好玩儿耶,臭美西西戴了个帽子

  
比那件破袋鼠马甲可爱多了,

  
总算没白显摆

  
哈哈哈哈

 回复[22]:  东京博士 (2007-02-17 23:28:41)  
 
  年夜饭吃了才回来,回龙爷16楼——

  
一遭被蛇咬,见绳您就跑

  
今晚素食炒,明天馄饨包

  
爆竹声声遥,东瀛无人闹

  
窝头到蛋糕,龙爷步步高

  

 回复[23]: 年夜饭 吴卫建 (2007-02-18 03:04:50)  
 
  我也吃完年夜饭才进门,年夜饭是在深圳的亲族在宾馆定的大包房里吃的,很腐败的宴席,可边吃边看春玩,吃完后要打麻将者可打麻将,要唱卡啦ok者可以唱卡拉ok,在国内过年滋润呵,已很多年没如此过了。

  
现窗外鞭炮声不绝于耳,此起彼落,这才是过年啊。

  


  
烤乳猪

  


  
热炒冷盘

  


  
清蒸xx鱼

  


  
椰子鱼翅汤

  

 回复[24]: 拜年啦 蝴蝶兰 (2007-02-18 11:30:35)  
 
  这桌够腐败,餐不忍睹

 回复[25]:  沈磊 (2007-02-18 12:56:25)  
 
  博士新年好,这儿真热闹。既摆鱼翅汤,又有小猪跑。(估计跑是跑不了了,只能入肚)

  
饭前说教养,饱后论风骚。祝愿众兄弟,东瀛步步高!

 回复[26]:  东京博士 (2007-02-18 13:35:01)  
 
  小沈新年好!

  
昨天在九哥的地盘上吃年夜饭,就是上次池袋聚会的地方的对面,九哥是湖南人,建议有空去坐一坐,日本MM估计有难度,带上国产MM较妥,参见——http://www.eastern-ark.com/read.php?tid=10422&fpage=&toread=&page=1

 回复[27]:  沈磊 (2007-02-18 18:52:17)  
 
  地方不错,可玩刀削有点太酷。虽然我是武林高手,可在藏龙卧虎的池袋,又是九哥的地盘上,岂不失敬!他是小李飞刀,我又怎敢出手相扰。若有东博指引,务请指点一二。

  
有机会自当不畏出丑,该出手就该出手。有闲时捎上我。

 回复[28]:  东京博士 (2007-02-18 19:26:12)  
 
  那个刀削面的确是当地料理的特色,带表演的色彩并不是很浓厚的,我坐的位置因为正好是隔着玻璃能看到厨房,进店前我还特意打电话给西安出身的网友确认了,呵呵。

 回复[29]:  小林 (2007-02-18 22:16:46)  
 
  过年了,俺也下厨房露一手。

  

 回复[30]: 吴兄年夜饭后打麻将了? 龍昇 (2007-02-19 10:33:50)  
 
  有感,贴二十六年前一局麻将.

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    福原爱带来的国际大地震 
    中日文化比较:儒教的分歧点 
    我在日本“看”广场舞 
    无声的震撼 
    五谈中日男女的平等观念 
    四谈中日男女的平等观念 
    三谈中日男女的平等观念 
    欣赏日本茶道 
    今日上海滩:东台路古玩市场  
    中日消费小事的杂感 
    中日生意经的差异 
    日本人吃鲸鱼与保护动物的矛盾 
    再谈中日男女平等观念 
    [原创]简评杨逸获日本芥川文学奖 
    漫步[柴又]——寅次郎的故乡 
    海外中秋话月饼 
    中国大米为何不如日本大米——与龙之醒商榷 
    日本人为何冷酷无情? 
    谈谈日企为何不愿意雇佣外国人 
    上海滩的文化新热点——泰康路田子坊 
    日本社会的日常五[心] 
    木子美改邪归正了吗? 
    扭曲的人性——三评《我的女友里美》 
    嘲笑他人的民族心理——再评《我的女友里美》 
    爱情的自私与本能——评《我的女友里美》 
    中日文化交流:再谈教养问题 
    中日文化交流:教养问题 
    中日文化交流:宁波,麻将及其他 
    中日文化交流:不可思议的日本立食 
    从日本的“土”重新认识人与自然 
    从《含泪活着》重新思考什么是幸福? 
    打倒[你好厕所]! 
    我们需要欧洲的Renaissance精神 
    漫谈中日拉面 
    暧昧的日本人 
    日本人究竟是否歧视中国人? 
    日本饮食文化谈[四]  
    日本饮食文化谈[二]  
    日本饮食文化谈[三]  
    日本饮食文化谈[一]  
    人情与自由 
    再谈大中华与小日本  
    中国人的幸灾乐祸落井下石心理 
    [原创]Never give up! 
    [原创]日本的咕老肉和天津饭 
    [原创]星巴克与喝凉水 
    [原创]欧洲归来看日本 
    [原创]法国老太太鲁西 
    [原创]阿Q先生新说 
    [原创]谁动了我的蛋糕? 
    [原创]情人旅馆体验记 
    [原创]盒子旅馆体验 
    [原创]我的麦当劳历史情结 
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    [原创]从茶叶盖子看中日差距 
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