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中日文化交流:不可思议的日本立食
东京博士 (发表日期:2007-02-14 23:31:23 阅读人次:4018 回复数:12)
东京博士(2004-05-20 09:27)
刚到日本时,遇上很多这个那个不可思议的事,不久[哦,原来如此]自然明白的事也很多。但是至今为止一直觉得不可思议的事却也不少。恐怕日本人到中国去也会感受到类似的情况吧。
比如,饮食习惯方面,中日类似的部分很多,都以大米为主食,面条等中国人也很习惯的,光是使用筷子,不管你吃啥都觉得很亲切,而且用餐的礼仪作法也几乎相同。
接下去,如果我的发言有对日本人失礼的话,道歉在先。我直说自己觉得不可思议的事了。
中国的传统文化习惯中对用餐有很多礼仪讲究。其中最基本的就是谁都知道的必须坐好了吃饭。孩子在吃饭时如果玩耍,离开座位的话,会被家长打屁股等教育的。当然,在农村地区和城市的一些老式的居民区,可以看到比较熟悉的邻居之间串门,或者把菜放在饭碗上,跑到外面与人边谈天边吃饭等场景,特别是夏天。不过大概是最近随着居住环境的改善,邻居之间的接触也减少,城市很少再看见这种现象了。
可是,我就是觉得为什么日本有站着吃饭的商店,觉得很不可思议的。现代生活节奏很快,因为没有时间在车站尽速吃点什么,为了健康吃点什么总比不吃好,这种价廉迅速的服务,而且因为设在站台上没有充裕的空间,所以站着吃的客观存在也不是不可理解。
但是,似乎又觉得不仅仅是这些,从文化的观点来看,日本人接受的形式中国人未必能够接受,于是,我就想探索一下,这里面究竟是什么呢?
中医理论认为,站着吃饭对胃的负担很大,不利于健康,而且日本的立食必定与快吃是同时发生的,这就更加违反了中医认为的[细嚼慢吞,唾液可以帮助消化,在到达胃之前这种初步消化作用是很有用的]。
中国虽然也有个人的站着吃饭的人,但是饭店还不至于堂堂地提倡[立食]。不久的将来,像罗森,七点十一点方便店那样这种独特的生意说不定也会进入中国。哦,其实,虽然没有挂[立食]的招牌,在上海机场里倚着柜台吃日本荞麦的旅客已经见过,旁边就有椅子却不坐,这些人中究竟有没有中国人呢?(有日本生活经验的人除外)
堂堂推进立食文化的话,一部分中国人可能会指责饮食礼节等等,问题是医事同源已经渗透到百姓文化中的中国是否真的会像接受[吉野家牛肉饭]那样接受立食呢?
立食啊,大概就是造成日本人胃病很多的一个原因之一吧。被称为具有细致性格的日本人至今为止谁都没有对立食表示过反感吗?
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文化交流:不思議な日本の立ち食い
日本に来てはじめのごろ、あれこれ不思議なことがいっぱいありました。なれてくると、「なるほど」のような自然に解けたことも多いが、いまでも不思議と思っていることも少なくない。おそらく日本人が中国に行く時も同じ現象を気づくのではないかと思う。
たとえば、飲食習慣について、日中共通な部分が多い、お米を主食、ラーメン、うどんも結構中国人がなじむし、お箸を使うだけで、何を食べても、とにかく親しみに感じる。そして食事の礼儀作法もほとんど同じのようだ。
以下、もし日本人に失礼に当たる発言があったら、前もってごめんなさい。正直に私の不思議を言います。
中国の伝統的な習慣では、食事する時にいろんな礼儀作法がある。その中にちゃんと座って食べるのは誰でも知っている。子供が食事中あそんだり、席から外れたりすると親にお尻をたたかれるなど凄い躾けがある。
もちろん、農村地区や、都会の下町に行けば、親しい隣人の家に行ったり、おかずをご飯の上に乗せ、そとに人と雑談しながら食事する風景も見あたる、特に夏ですね。(住宅事情がかなり改善され、隣人とのふれあいが減ったせいか、最近の都会ではほとんど見られなくなった)
そこで、私がなぜ日本には立ち食いそばのようなお店が存在するか不思議と思って仕方がない。現代生活の中、リズムが早く、時間がないから駅でさっさと早くなにか食べて、健康のため食べないよリはいいと思うが、気軽な値段と迅速なサービス、そして特定な駅ホームという場所だからスペースが取れないという点から見れば、立ち食いの存在は客観的に理解できなくはないですね。
但し、やはりそれだけではない、文化的な観点から見て、日本人が納得できることは必ずしも中国人が納得できるわけではない。そこに、私はこの先、何があるのだろうと探ってみたい。
漢方の医学理論では、立っているとき食事することは胃に大変な負担をかけ、健康に良くないし、まして立ち食いの誕生はおそらく早く食べるのがつき物、なおさら漢方医学の「食べ物をよく噛む、唾液とよく混ぜると消化にいいし、胃袋に到達まで初期消化の役割が果たせる」ことを反する。
中国は立ち食い現象は個人としてあっても、お店が堂々と「立ち食い。。。」までは提唱しません。近い将来、ローソン、セブンイレブンと同じようにこの独特な商売が中国に進出する知れませんが、いや、「立ち食い」の看板はないが、上海の空港の中にカウンターのそばに立って日本そばを食べている旅客も見かけています。すぐ近くにいすもあるのに。そういう人たちの中、決して中国人がいるかな?(在日経験のある中国人は別として)
立ち食いは堂々と推進するのは一部の中国人が行儀云々を言い出すかもしれないが、それよりは医食同源が庶民文化まで浸透してきた中国では吉野屋牛丼のように受け入れるのでしょうか?
立ち食いよ、だから日本人の胃に関する病気が大変多い原因のひとつじゃないかな、繊細な性格をもつ日本人は今まで誰も立ち食いに対して抵抗感がないでしょうか?
回复[1]:
东京博士
(2007-02-14 23:34:56)
日本人凉先生(2004-05-20 23:43)
日本の立ち食い蕎麦、うどんについてこの習慣は、戦後間もない頃に出来たと言われる説があります。
基本的に、駅の構内など列車が発車するまでの間に食べるという時間的、構内というスペース的問題から立って食べるという形式が成立したそうです。
元々は、駅構内から始まったということです。当時は、米は貴重であり、米のご飯を出すことができず、そば粉、うどん粉での供給が主だった事も起因しています。つまり、元々の日本文化においては立ち食いという観念はなく、立ち食い形式が初めて出来たときも日本人の中には、恥ずかしい食べ方という考え方があったわけです。
では、何故現在立ち食いという形式が定着しているか。
戦後の高度経済成長において、移動手段にマイカーなど持つことはなく、バス、列車、電車が主な移動手段であり、かつ、一日八時間以上働いていたという当時の日本人会社員にとっては、食べる時間も惜しいと言う感覚だったのではないでしょうか。効率が、いつのまにか便利となり、人々の間に定着し、さらには列車で旅をする人にとっても簡便であったということから全国に認知されていったのではないでしょうか。
食に対する健康面という点では、日本も立ちながら食べると言う行為は、決して褒められる行為ではありません。しかし、その空間においては、その立って食べると言うことがすでにマナーになり、効率と便利という付加価値がついたのでしょう。
これは、理解する文化ということではなく、生活の中から生まれた自然な知恵と言ったほうが良いかもしれません。これを理論的、かつ明快に理解しようとすると、理屈に合わないことが結局出てくることになると思いますよ。
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日本的立食荞麦面,粗面条的习惯据说是战后不久出现的。一般是在车站设施列车发车的间隔时间内吃的,因为设施内有限的空间所以才成为站着吃。因此是发源于车站设施内的。当时,大米是贵重品,无法提供米饭,所以主要是提供荞麦粉,粗面粉。
也就是说在日本文化中并没有立食这个概念,立食刚出现的时候日本人中也有觉得这种吃法很难为情的。那么为什么现在立食成为了一种固定的饮食方式了呢?
由于战后的高度经济成长,还不拥有作为移动手段的私车,而且当时的日本公司职员每天
工作8小时以上,恐怕是觉得花在饮食上的时间太浪费了吧?为了提高效率,不知不觉就在人们中成为方便的选择了。这种简便形式获得了列车旅客的全国性的公认。从健康角度来看,立食这种行为,日本也并不是赞扬的。
但是,在那个空间里,站着吃已经形成了一种规矩,具有效率和便利的附加价值,不应该理解为是文化。认为是生活中自然而然产生的智慧比较妥当吧。为了简单明了地理解这个道理,与固有概念就不一定合拍了。
回复[2]:
东京博士
(2007-02-14 23:38:48)
东京博士(2004-05-21 00:34)
相当简单明了的说明,谢谢!对立食的形成历史原因有了些了解。
但是,我还是认为这是文化,是现代文化。所到底文化其实开始都是生活中的某个契机为开端的,比如火的使用,文字使用的文化,原始人用土开始制作陶器的文化,不都是来自生活的智慧吗?
立食荞麦面如果从诞生于日本的高度经济成长期的文化观点看,是合理主义与传统文化谁赢得问题。看了凉先生的说明,结果是合理主义获胜了,因此这难道不可以认为是日本文化大家庭中把一个合理主义的新产品作为新文化接受了?
也就是说,从传统文化的视点来看,或许这是一种背叛行为,但是时代是动态发展的,文化当然也不是静止的存在。以上仅仅是我个人的看法。
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かなり客観的かつ明快な説明、ありがとうございました。立ち食いに関して少しその歴史形成の要因が分かってきた。
但し、これも文化、現代文化だと私は思います。そもそも文化は所詮みんなの生活の中からなにかのきっかけができている。たとえば、火を使う文化、文字を使う文化、原始人が泥から陶器を作る文化など、みんなが生活のなか生まれたではないでしょうか?
立ち食いそばは日本の高度経済成長期の時代に生まれた文化と観点から見ると、合理主義と伝統文化をどっちかの問題、涼さんのご説明を読むと、やはり合理主義のほうが勝ったから、日本文化の中に合理主義の新製品も新しい文化として受け入れたではないでしょうか?つまり伝統文化の視点から見ると、反する行為かもしれないが、時代はダイナミックな発展だから、文化ももちろんスタティックな存在ではない。それは私がそういうふうに理解しています。
回复[3]:
东京博士
(2007-02-14 23:43:02)
日本人凉先生(2004-05-21 02:01)
その通りだと思います。
現代文化、つまり戦後文化とでも言うのでしょうか。文化の基本は生活習慣から発生するものだと私も思います。
例えば,中国から多くの文化が日本に入ってきたわけですが,それがそのまま日本に定着したわけではなく、日本人が理解しやすい、又は使用しやすいように変化していったわけですね。
生活習慣や、文化と呼べるものは、常に生活の中やその時代の流れの中で流動的なものであると思います。
しかし、決して変化しない文化というものも存在しそれは個々人が大事に思っている心の文化の部分ではないでしょうか。
なぜ?という疑問に、私は答えられませんが,日本は戦後、180度様変わりするように
アメリカという国の文化と習慣を取り入れてきました。常に、合理性を追求するというこの現代日本文化は戦後完成に至ったと考えるべきなのかもしれません。文化が一変して変化するとすれば、それは大きな転換を迫られたときだと思います。
蛇足になりますが,日本が過去、間違っていたことを挙げるならば,欧米西欧に怯え、意識し、追いつくことにのみ結果を求め、身の丈に合わない背伸びをし、真似た結果が
本来の日本の義礼美文化に背いてしまったのかもしれません。これは、文化と呼べるものではないですね。
文化は必要に応じて生活の中から生まれてくるとすれば,いずれ立ち食いそばと言う習慣も日本の文化となるのでしょう。もしくは、必要がなくなり、忘れ去られるのかもしれません。
私達日本人でさえ、立ち食いのシステムが必要であるとは現在あまり思っていません。
なんとなく立ち食いそば屋があるなぁというくらいのものです。
——————————————————————————————
是这样的。现代文化,也可以说是战后文化。我也认为文化的基本是来源于生活习惯。
比如,日本从中国吸收了很多中国的文化,但并不是就此在日本安家落户了、为了日本人更容易理解,或者说更容易使用是变化过的。可以称为生活习惯,文化的东西,一直在生活中,时代的流动中变化的。
但是,也有不会变得文化的某个部分的存在。这大概是很多人认为最重要的部分吧。
如果问为什么?我无法回答。日本的战后时代,简直像180度大转弯似的采纳乐美国的文化和习惯,这可以说是一直追求和理性的现代日本文化在战后实现了完成型。如果说文化发生了大变化,是因为那时被迫进行了大转机。
以下是画蛇添足,日本过去的失误如果要举例说明的话,那就是对西欧胆怯,一直意识他们,只追求赶上他们,采取了不符合自己身材的舒展,模仿的结果说不定是背叛了日本本来的义礼美文化。这不能称为文化吧。
如果文化是根据生活诞生的,那么立食的习惯算日本的文化了。或者不必要的时候也会随风飘去。连我们日本人都没有认为现在有必要需要立食,但是知道有立食荞麦店这么一回事。
回复[4]:
东京博士
(2007-02-14 23:47:21)
东京博士(2004-05-21 02:46)
我的疑问是从何而来的,看了凉先生最后的观点才知道。是啊,当时立食的起源有很多原因,而且每个原因都是合理的。
但是,现在日本经常听到宽松教育这个词,生活与战后不久的时代完全不同,宽裕了很多,拥有私家汽车也与那个时代不可同日而语,生活没有宽裕,人活着也没趣,硬邦邦的铁板一块似的。
这么看来,大米是贵重品的时代早已经发展成为现在重视健康,控制热量的了,如果立食不是很厚重的值得沉淀的文化的话,或许从别的角度去认识的人会增加的吧。
比如,本来是粗粮的荞麦在中国也是贫穷的食物,到了富裕的时代相反成了健康食品中的高级东西也不少。个人觉得吃荞麦还是喜欢到入口有风铃叮当响,在自然的木头和三味线的音乐中,盘腿坐在榻榻米上吃才有味道啊。
___________________________________________________________________________________
僕の疑問が何処から来たか、涼さん最後の観点からやっと解けてきた。そうですね、当時立ち食いが出たごろ、それはいくつかの理由がある、しかもどれも合理的な理由でしたね。
しかし、今の日本はゆとり教育の言葉は良く聞くし、生活も戦後まもなくの時代と違ってゆとりがかなり出て、マイカーの所持だて、あのごろと訳が違う、やっぱり生活にある程度のゆとりがないと人間の面白みがなくなり、カチンカチンになってしまうね。
その観点から、お米が貴重な時代からとくに飲食はヘルシー重視、カロリカットの時代に変化したから、立ち食いはそれほど沈殿すべき重みのある文化ではなければ、やっぱりもう一度別の角度から考える人が多くなるかもしれませんね。たとえば本来粗食のそばは中国でも貧しい食べ物であり、豊かな時代になると逆にヘルシーな高級品になる食材も少なくありません。それはやっぱり個人的にそばを食べるなら、入り口に入る時ちょっと鈴の音がさりげなくチンーと響き、木の匂いと三味線の演奏音に包まれ、畳に胡坐をかけて、ゆっくり堪能したいところですね。
回复[5]:
东京博士
(2007-02-15 00:07:11)
日本人楠先生(2004-05-23 07:27)
从外国人的眼光看,能意外地发现了日本的这个现象很有趣。立食快餐已经完全在日本安家落户了,从医食同源的视点来看感觉到很新鲜。
我大概每月1~2次,在仅有的等待新干线的时候吃着洋的快餐立食荞麦面。说到底还是因为没有时间。但是,仔细一想,其实其中也有一种美学,不顺应也算不上好汉,女性稍微有点难度,对绅士也略感无理。
像虫子爬似地慢吞吞吃可不行,寂寞哀愁地摆功架也是多余的!追求的是一份爽快。电影
《黑雨》里的高仓健演的刑警也吃这个,就是那样的味道。
但是看到来自中国人的异议有点吃惊。上海现在不是也有美食摊贩边站着吃的人的吗?在日本人看来,那道朝市风景是相当好的感觉啊,写这个帖的楼主看来是有着良好的家教的吧?
在日本,如果是家里站着吃的话当然也成问题。但是「车站荞麦面」却是可以被容忍的无法地带。这种稍微有点不象话的样子难道不觉得别有一番风味吗?
说对胃不好那到确实是的。但是太在意健康的话,那就失去了一种探寻什么的感觉,自然就远离了「车站荞麦面」了吧。
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日语原文——
外国の人の目を借りると、思わぬ日本が発見できてとても面白い。立ち食いそばがすっかり定着した日本です。医食同源的見地からの反対というのが新鮮でした。
私は月に1~2度、新幹線のわずかな待ち時間で立ち食いそばを食べます。やはり時間がないというのが最大の理由です。しかし、考えてみると、一応それなりの美学もあって、それに従わないとサマにならないということもあります。女性はちょっと難しいと思います。紳士も無理。
もぞもぞ食っててもダメで、わびしさとか哀愁は御法度!やさぐれたところがないとダメですね。『ブラック·レイン』という映画で、高倉健が刑事役で食ってますが、ああいう感じが味があります。
でも中国人からの異論がでるのにはびっくりでした。上海では、今でも屋台が出て、立ち食いする人はいっぱいいると思うがどうでしょうか?日本人から見ると、朝なんか、なかなかいい感じの光景ですよ。この記事書いた方は、いい家庭の育ちではないですか?
日本も、家で立ち食いするとやはり問題です。「駅そば」だけ、ちょっと無法地帯という感じでしょうか。そういう、ちょっと品の悪いことをしているというふうな面白みもあるんじゃないかと思います。
胃に悪いというのは確かです。健康に気をつかいますと、やさぐれた感じが失われますので、自然に「駅そば」から遠のくでしょう。
回复[6]:
志村犬
(2007-02-15 04:03:32)
东博,我好像觉得中国人有胃病的多哦.
我接触的日本人里几乎没有听说过有胃病的.只有二日醉时才吃胃药.
回复[7]:
东京博士
(2007-02-15 07:29:30)
中国人的胃病是人斗人郁闷气出来的,
日本人的胃病是干活不要命熬出来的。
回复[8]:
小小丁一 (2007-02-15 11:22:23)
我上学时,吃了七年的学校食堂,没有椅子和凳子的。(不是“农村地区和城市老式的居民区。”)可能是个特例。
回复[9]:
洋派对上的淑女绅士也是立食.
龍昇
(2007-02-15 11:57:04)
得研究研究(当然那场合上吃的不多,偶有狼吞虎咽的)
回复[10]:
东京博士
(2007-02-15 12:09:05)
那是为了让绅士增加“男扒”淑女的机会,吃东西不是主要目的。
回复[11]:
蔷薇泡沫 (2007-02-15 13:18:32)
但是为什么他们又对行动中吃东西排斥呢,比如一边走路一边吃,一边汽车一边吃
回复[12]:
东京博士
(2007-02-15 13:24:11)
因为行动中的公共场合空间不确定,吃东西会注意力分散,妨碍他人行动,而且有可能食品垃圾散落,而且吃相暴露不雅观。
公共交通工具内不提倡吃东西的道理除了上述理由,还有一个就是日本的车厢都是全封闭空调车,座垫都是纺织面料,食品撒落打翻和气味会影响车内环境,新干线和中距离特急车的换气设备不同,不再此例。
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