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| 字体∶大 中 小 | 到底怎么个透明
| 李长声 (发表日期:2006-12-27 10:35:46 阅读人次:2552 回复数:18)
| 学译塾
两三点雨谁先沾,
此地楼高应近天;
每遇生疏懒查问,
百思一语胜参禅。
这是以前写的译书有感,可见我笔下何等不严肃。最近翻译出版了藤泽周平著《隐剑孤影抄》,人家的文学是好文学,却被我的翻译给糟蹋了。莫非近墨者黑,染了点耻文化,忽而悔悟,决意从头学译。设此学译塾,拜网友为师,切磋琢磨,教学相长。本该拿自己祭旗,却终究不好意思让诸位高手来批改小学生作业。
奇文共欣赏,疑义相与析,愿受教。
到底怎么个透明
并世两“村上”,其一村上龙,生于1952年,读美术大学没读完,在校期间写小说《限りなく透明に近いプルー》,获得芥川奖,一举成名,日后本人自编自导把这个作品搬上银幕。中国也出了译本,名为《近似无限透明的蓝》,但我总觉得应译作“无限近乎透明的蓝”。谁修饰谁,不可以张冠李戴。
书名这句话出现在小说的末尾,原文是这样的:
“血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
限りなく透明に近いプルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。”
译文则如下:
“我一直被这白茫茫的起伏包围着。
边缘上还残留着血迹的玻璃片,在黎明的光照下愈加透明。
这是近似无限透明的蓝色。我站起身来,朝自己的公寓走去,真希望自己变得象这块玻璃一样,自己身上也能映照出那条白色优美的曲线来,让人们都能看到它。”
“愈加透明”、“近似无限透明”似乎都不够信达,诸位的高见呢?
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回复[1]: 蛇 (2006-12-27 11:06:24) | | > 血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い
闲着没事乱打哈哈,班门弄斧~~
边缘上残留着血迹的玻璃碎片,在黎明中的空气的渲染下几近透明。 |
回复[2]: 东京博士 (2006-12-27 11:14:29) | | 血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
好像使用被动态另有一番味道——轮廓上残留着血迹的玻璃碎片,被黎明的空气渲染得近乎透明。
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回复[3]: 多谢蛇、东博 李长声 (2006-12-27 12:06:57) | | 请水双、雪非雪等网友也上来指教。 |
回复[4]: 雪非雪 (2006-12-27 12:25:33) | | 李长声先生(看见白发人就不得不以先生相称,礼貌习惯 )好。
方才看过了原贴和跟贴的译文,没想出比这更合适的,就没好意思跟译。过后再努力一下,想出差不多的会上来贴上。 |
回复[5]: 多谢雪非雪 李长声 (2006-12-27 12:26:28) | | 从所学所业来说,不敢应承“先生”二字,但中国把摆摊算命的瞎子(在日本应该叫眼目不自由者)也叫作先生,我也就听之任之。中国文化尚未创出一个日本式的“サン”,同志却又不兴叫了,所以,不妨是“秃尾巴老李”,直呼其名吧。 |
回复[6]: 采夫 (2006-12-27 12:37:36) | | ......,在晨光的映照下越发晶明透亮。 如何? |
回复[7]: 蛇 (2006-12-27 12:51:55) | | 瞎白活之2
总觉得不要把“光”参合进去,因为原文里没提“光”,这是一,二是黎明的“光”不强,还是“平”或“斜”射的,除非位于很高位置的东西一般不能被直接照到,即使照到了,“光”与“玻璃”的组合,一般也就是反射、折射,倒是阻碍了透明度(不是很严格的结论) 。相反,黎明时分的空气不是很透明,在这个大环境下,那个玻璃碎片才有可能接近透明~~~ |
回复[8]: 东京博士 (2006-12-27 12:53:26) | | [蛇]的回帖不是翻译,但大有“挖地三尺”之势。
暖冬不能眠
处处见蛇跑
疑是春来早
打虎缺补膏
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回复[9]: 蛇 (2006-12-27 13:45:22) | | 赶紧钻洞。。。。。。。。。。 |
回复[10]: 东京博士 (2006-12-27 12:59:00) | | 今年冬天实在不像话,今天东京热的要命,刚才出去吃午饭。回来一身汗。
蛇喜欢阴凉地方,估计比人更难熬啊。。。。。。。 |
回复[11]: 试译 水双 (2006-12-27 13:31:05) | | “血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。”
把血留在框子上的玻璃碎片被拂晓的空气染得近乎透明(了)。
说明:“血を”的主体是谁,不清楚。但是如果认作是“玻璃碎片”本身的所作所为,也是可以说得过去。最后的“了”,可有可无。
加一点:
“限りなく透明に近いプルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。”
这几乎就是透明的蓝色。我站起身来,边朝着自己的公寓走去,边在想,希望自己变成这玻璃那样,既(想)能够映照一下自己这柔和的白色的起伏,又(想)能把映照我自身这优雅的起伏也给别人看看。
说明:1,房东的“这块玻璃”似乎不妥,因为已经是破片了。“我”想变成的不是那块玻璃,而是那些碎片。2,“……と思った”用了三次,也许是想表达“想”的支离破碎。但是译成中文就有点不太顺畅,请房东自己定夺。 |
回复[12]: 风 (2006-12-27 14:02:21) | | 各位了得啊。俺坐地板上,学习中。
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回复[13]: 供参考并批评 雪非雪 (2006-12-27 14:13:53) | | “血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
限りなく透明に近いプルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。”
边缘上还留有血迹的玻璃片,在黎明的晨光中近乎透明。
这是接近透明到不能再透明的蓝色。站起身,一边向自己的公寓走,一边想,我也要像这片玻璃一样,让自己映照出柔和而流畅的白色起伏(曲线),并且把这种美好的起伏(曲线)展示给他人。
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回复[14]: 蛇 (2006-12-27 14:41:52) | | 洞里太没意思了,俺又钻出来了~~~
さて、なぜリュウは「限りなく透明に近いブルー」になろうと思ったのだろうか。その部分を振り返ってみよう。
ポケットから(中略)ガラスの破片を取り出し、血を拭った。小さな破片はなだらかな窪みをもって明るくなり始めた空を映している。(中略)
影のように映っている町はその稜線で微妙な起伏を作っている。その起伏は雨の飛行場でリリーを殺しそうになった時、雷と共に一瞬目に焼きついたあの白っぽい起伏と同じものだ。波立ち霞んで見える地平線のような、女の白い腕のような優しい起伏。
これまでずっと、いつだって、僕はこの白っぽい起伏に包まれていたのだ。
血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
限りなく透明に近いブルーだ。僕は(中略)このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。(本文より)
http://ishibashimasao.at.webry.info/200503/article_8.html
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回复[15]: 雪非雪 (2006-12-27 14:42:40) | | 蛇,趁出洞的功夫快帮我看看我的作业是不是有漏洞,帮补补啊。拜托 |
回复[16]: 蛇 (2006-12-27 15:01:55) | | 啊?俺那“大白活”还有人当真?
对了,听说这本小说「蛇にピアス」和那个「限りなく透明に近いブルー」有很多相似的地方,不知道真假啊~~~ |
回复[17]: 多谢诸位指教 李长声 (2006-12-27 21:53:26) | | 水双误会了,这段文字不是我的翻译,是从中国出版物里引用的。本塾举例,旨在学译,就事论事,请诸友举例也故隐其名。
我对原文的理解:按说玻璃是透明的,但是在晨曦的薄明中就只能近乎透明了。好像被空气浸染,呈现蓝色,是无限近乎透明的蓝色。
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回复[18]: 原来如此 水双 (2006-12-27 23:50:53) | | 临近考试阶段,看到问卷,就不管四七二十八,答了再说。
我的理解:玻璃是透明的,但只有被完整地镶在镜框上时,才能透明。透过碎片看晨曦的玻璃,就自然不透明了,有凹凸深浅了。加上拂晓的空气本身就可能是淡蓝色的,所以破碎的玻璃也就接近蓝色了。这段文字的主题不是蓝色,而是玻璃以及碎片。 |
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