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 村上春树:永远在蛋这一边 待于泥== (2009-03-02 00:46 阅读人次:1685) 
  】村上春树于2月22日前往以色列接受耶路撒冷文学奖。在他动身之前,以色列进攻加沙地带,攻击哈马斯组织。因为这个缘故,许多人劝说村上春树不要去以色列,甚至表示如果他去了的话,就会抵制他的书。可是,村上春树还是去了,并且在那里发表了一次讲演。

  
村上春树 永远在蛋这一边

  
今天我作为一个小说家来到耶路撒冷,也就是说,作为一个职业撒谎者。

  
当然,并不只有小说家才撒谎。政治家也做这个,我们都知道。外交官和军人有时也说他们自己的那种谎,二手车销售员、肉贩和建筑商也是。但小说家的谎言与其他人的不同,因为没有人会批评小说家说谎不道德。甚至,他说的谎言越好、越大、制造谎言的方式越有独创性,他就越有可能受到公众和评论家的表扬。为什么会这样呢?

  
我的回答会是这样:即,通过讲述精巧的谎言——也就是说,通过编造看起来是真实的虚构故事——小说家能够把一种真实带到新的地方,赋予它新的见解。在多数情况下,要以原初的形态领会一个事实并准确描绘它,几乎是不可能的。因此我们把事实从它的藏身之处诱出,将之转移到虚构之地,用虚构的形式取而代之,以试图抓住它的尾巴。然而,为了完成这点,我们必须首先厘清在我们之中真实在哪儿。要编造优秀的谎言,这是一种重要的资质。

  
不过,今天我不打算撒谎。我会努力尽可能地诚实。一年里有几天我不说谎,今天碰巧就是其中之一。

  
所以让我告诉你们一个事实。很多人建议我不要来这儿领取耶路撒冷奖。有些人甚至警告我,如果我来,他们就会策划抵制我的书。

  
此中的原因,当然是肆虐于加沙地区的激烈战争。联合国报道,有超过一千多人在被封锁的加沙城内失去了生命,其中不少是手无寸铁的公民——孩子和老人。

  


  


  
收到获奖通知后,我多次问自己,是否要在像这样的时候到以色列来,接受一个文学奖是不是合适,这是否会造成一种印象,让人以为我支持冲突的某一方,以为我赞同某国决意释放其压倒性军事力量的政策。当然,我不愿予人这种印象。我不赞同任何战争,我不支持任何国家。当然,我也不想看见我的书遭到抵制。

  
然而最终,经过仔细考虑,我下定决心来到这里。我如此决定的原因之一是,有太多人建议我不要来。或许,就像许多其他小说家,对于人们要我做的事,我倾向于反其道而行之。如果人们告诉我——尤其当他们警告我——“别去那儿,”“别做那个,”我就倾向于想去那儿,想做那个。你们或许可以说,这是我作为小说家的天性。小说家是异类。他们不能真正相信任何他们没有亲眼看过、亲手接触过的东西。

  
而那就是我为什么在这儿。我宁愿来这儿,而非呆在远处。我宁愿亲眼来看,而非不去观看。我宁愿向你们演讲,而非什么都不说。

  
这并不是说我来这儿,是来传达政治讯息的。当然,做出是非判断是小说家最重要的职责之一。

  
然而,把这些判断传达给他人的方式,要留给每个作家来决定。我自己宁愿把它们转化为故事——趋向于超现实的故事。因此今天我不打算站在你们面前,传达直接的政治讯息。

  
但请你们允许我发表一条非常私人的讯息。这是我写小说时一直记在心里的东西。我从未郑重其事到把它写在纸上,贴到墙上:而宁愿,把它刻在我内心的墙上,它大约如此:

  
“在一堵坚硬的高墙和一只撞向它的蛋之间,我会永远站在蛋这一边。”

  
对,不管墙有多么正确,蛋有多么错,我都会站在蛋这一边。其他人会不得不决定,什么是对,什么是错;也许时间或历史会决定。如果有一个小说家,不管出于何种理由,所写的作品站在墙那边,那么这样的作品会有什么价值呢?

  
这个隐喻的涵义是什么?有些情况下,它实在太简单明白了。轰炸机、坦克、火箭和白磷炮弹是那坚硬的高墙。蛋是那些被碾碎、被烧焦、被射杀的手无寸铁的平民。这是该隐喻的涵义之一。

  
可这不是全部。它有更深刻的涵义。这样来想。我们每个人,或多或少,都是一个蛋。我们每个人都是一个独特的、无法取代的灵魂,被包裹在一个脆弱的壳里。我是如此,你们每一个人也是。而我们每个人,多多少少都面对着一堵坚硬的高墙。这堵墙有个名字:它叫体制(The System)。体制应该保护我们,但有时,它不再受任何人所控,然后它开始杀害我们,及令我们杀害他人---无情地,高效地,系统地。

  
我写小说只有一个理由,那就是使个人灵魂的尊严显现,并用光芒照耀它。故事的用意是敲响警钟,使一道光线对准体制,以防止它使我们的灵魂陷于它的网络而贬低灵魂。我完全相信,小说家的任务是通过写作故事来不断试图厘清每个个体灵魂的独特性---生与死的故事,爱的故事,使人哭泣、使人害怕得发抖和捧腹大笑的故事。这就是为什么我们日复一日,以极其严肃的态度编造着虚构故事的原因。

  
我的父亲去年去世,享年九十。他是位退休教师,兼佛教僧人。读研究院时,他应征入伍,被派去中国打仗。我是战后出生的孩子,经常看见他每日早餐前,在家里的佛坛前长时间虔诚地祈祷。有一次,我问他为什么这样做,他告诉我他是在为那些在战争中死去的人们祈祷。

  
他说,他为所有死去的人祈祷,无论敌友。我凝视着他跪在祭坛前的背影,似乎感到死亡的阴影笼罩着他。

  
我的父亲死了,他带走了他的记忆,我永远不可能了解的记忆。但潜藏在他周围的死亡气息却留在了我自身的记忆里。这是少数几样我从他那儿承继下去的东西之一,其中最重要的之一。

  
今天我只希望向你们传达一件事。我们都是人类,都是超越国籍、种族、宗教的个体,都是脆弱的蛋,面对着一堵叫作“体制”的坚硬的墙。显然,我们没有获胜的希望。这堵墙太高,太强---也太冷。假如我们有任何赢的希望,那一定来自我们对于自身及他人灵魂绝对的独特性和不可替代性的信任,来自于我们灵魂聚集一处获得的温暖。

  
花点时间想一想这个吧。我们每个人都拥有一个真实的、活着的灵魂。体制没有这种东西。我们一定不能让体制来利用我们。我们一定不能让体制完全失去控制。体制没有造就我们,我们造就了体制。

  
那就是所有我要对你们说的话。

  
我很荣幸获得耶路撒冷奖。我很荣幸我的书正被世界上许多地方的人们阅读着。我也很高兴今天有这机会向你们演讲。

  
(完)

  


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  回复[1]:  张三 (2009-03-02 01:17)  
  多么精彩的比喻。才气真是让人赏心悦目。

  回复[2]:  是的 (2009-03-02 16:56)  
  不知原文是英语还是日语。。是楼主翻译的么?衷心致敬致意!

  回复[3]:  待于泥== (2009-03-02 17:39)  
  这篇,是博客BTR(鼻涕人)根据以色列《Haaretz》报上刊登的演讲内容,翻译为中文的。

  
另外,有一个日中对照的,翻译的不如这个好.

  
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」!

  


  
愿以此句与东洋镜所有镜友共勉!

  回复[4]:  我 (2009-03-02 18:36)  
  站在蛋一边,换一种说法就是:站在体制的对立面。

  
我觉得,这应该是文人……我们有时叫做知识分子的执照。

  
但好几次,二子都站出来指责:你这不是预设立场么!

  

  回复[5]: 这个问题不像文学比喻那么单纯 四海为家 (2009-03-02 19:23)  
  如果说,知识分子应该站在体制的对立面,即站在“蛋”的一方,从弱势人群的处境出发去不断质疑体制,那当然没问题;

  
可是具体到以色列和巴勒斯坦的关系,就不那么简单。难道巴勒斯坦和哈马斯真的是“蛋”的一方吗?很想问问村上春树,911事件中的墙壁和蛋是谁?

  回复[6]:  夏雨 (2009-03-02 20:19)  
  那么,看中国的现在,法轮功与政府的关系,不就是“蛋”与墙壁的关系吗?

  
。。。。。。。

  
日本的体制没问题,怎么也会出这么思想深刻的作家?

  
村上春树不是日本的,是属于世界的。

  回复[7]:  kalichen (2009-03-03 00:18)  
  说得好。有感觉。

  
蛋和墙,蛋和石头,都有自杀的意识。和体制无关。

  
而猫和老鼠, 又是另一种意境。

  回复[8]: >>:「911事件中的墙壁和蛋是谁?」 老唤 (2009-03-03 08:25)  
  显然,飞机是蛋。

  回复[9]: 嘻嘻, 四海为家 (2009-03-03 08:42)  
  那也就是说,村上春树和本拉丁站在一起?

  
这么说起来我也要多问问了——

  
珍珠港事件里,谁是墙壁谁是蛋?

  
广岛长崎原子弹轰炸,谁是墙壁谁是蛋?

  
看看村上敢来回答吗?

  回复[10]:  老赵 (2009-03-03 09:05)  
  估计村上如果看得懂中文

  
非哭了不可

  

  回复[11]:  王者非王 (2009-03-03 09:37)  
  所以说,预设立场是不对的。人都有自己的头脑,都可以自己分析,聪明人更应如此。如果不分任何场合都站在蛋的立场一边,哪个傻瓜都会。

  
继续推论,如果知识分子都应该站在蛋的立场上,那也就是让所有的知识分子都当傻瓜了。

  回复[12]: 再问村上大作家 四海为家 (2009-03-03 09:59)  
  正在进行的对红色高棉的审判当中,谁是墙壁,谁是蛋?

  回复[13]:  是的 (2009-03-03 11:51)  
  显然。。。此“蛋”。。。非彼“蛋”。。。。。

  


  
机械的理解,不等于理解的机械。

  
机械内部各部件之间,需要时常添充机油或润滑油。。。以防硬性碰撞耗损,或过度磨擦发热。。。

  


  
“理解”亦然。生套硬解,必然龃龉。理解,时常需要理解自身具有的柔暖。

  回复[14]: 为什么你们要为难一个作家? 二子 (2009-03-03 12:58)  
  作家和演员是一回事儿,只是舞台不同。

  


  
关于鸡蛋和墙,我知道村上自己也不知道自己在说什么。

  
有人演,就要有人鼓掌。我觉得这是做观众的本分也是修养。

  
而演员的本分和修养就是好好演,村上做得不错。我觉得。

  

  回复[15]:  待于泥== (2009-03-03 13:41)  
  夏雨,四海为家两位同学,你可以把你们所有的谁是墙壁,谁是蛋诸如此类的问题列个表出

  


  
来,问一下村上先生,假如他回答不上来或者不敢回答,就显示你比他高明多了.

  


  
借用一下赵然的惯用动作,汗......

  回复[16]: 日文版 科长 (2009-03-03 15:09)  
  こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。

  
もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

  
それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

  
そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

  
真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

  
受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。

  
しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

  
というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。

  
ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

  
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

  
そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

  
この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

  
しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

  
私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

  
私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。

  
父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

  
今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。

  
このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。これが、私がお話ししたいすべてです。

  
「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。

  

  回复[17]: 村上春树很高明 四海为家 (2009-03-03 16:50)  
  领奖、骂人,一样都不耽误,确实是大师!

  
挑战他,那不是拿鸡蛋撞墙吗?

  
我绝对不会挑战他,哈哈。

  


  

  回复[18]:  是的 (2009-03-03 16:18)  
  对照上述日语文和汉语译文,个别细节处,似有稍稍不同。。。?

  
演讲原文是英文好象。。。? 那么,汉语文和日语文,都是译文了。。。

  
谢转贴。对照学习中。同时也是一种日语学习。

  回复[19]:  kalichen (2009-03-03 19:21)  
  也许,他是一只喜蛋?

  回复[20]:  夏雨 (2009-03-04 00:44)  
  读村上春树文章,俺的理解:

  
墙壁是

  
1,轰炸机、坦克、火箭和白磷炮弹。

  
2,システム,不仅仅指体制,也可理解为一种系统,组织,社会等等。

  
蛋是

  
1,那些被碾碎、被烧焦、被射杀的手无寸铁的平民。

  
2,个人。

  
3,被包裹在脆弱的壳里每一个独特的、无法取代的灵魂。

  
以上要素综合起来分析,试着解释如下

  
。911事件中,墙壁是本拉丁和恐怖组织,蛋是飞机上被夹持的人质和大楼里五千多无辜的平民。

  
。珍珠港事件里,没有什么墙壁和蛋的关系,是国家对国家,体制对体制的战争。

  
。广岛长崎原子弹轰炸里,当然惨死的日本人民是蛋。

  
。正在进行的对红色高棉的审判,莫有墙壁和蛋,就是法律,正义对罪犯,对邪恶的审判!

  
。巴勒斯坦和哈马斯不是“蛋”的一方,那些被碾碎、被烧焦、被射杀的手无寸铁的巴勒斯坦和以色列平民才是可怜的“蛋”。

  回复[21]:  老赵 (2009-03-04 02:23)  
  嗯

  
是牛粪还是佛陀就看自己怎么认为了

  
述而不作,超凡入圣

  
汗。。。。。。。。

  

  回复[22]: 忽悠专家 老唤 (2009-03-04 08:00)  
  墙上芦苇+山间竹笋

  
用想像代替逻辑,把哲学变成文学。

  
直感:这辈子做的窝囊事儿之一:为了几个小钱儿把「舞舞舞」译成了中文。

  回复[23]:  待于泥== (2009-03-04 11:52)  
  「舞舞舞」不是林少华翻译的吗?怎么老唤也翻译过?有另一个版本不成?

  回复[24]: 老唤别窝囊了 四海为家 (2009-03-04 12:01)  
  耶路撒冷的这通口水,不是把俺人民的眼睛擦亮了?

  

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