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江泽民没死

老唤 (发表日期:2011-07-08 11:54:24 阅读人次:3769 回复数:4)

   根据佛洛依德的理论,在一个人生死不明的时候,[死亡说]蜂拥而起,这只说明在人们的无意识中有一种希望这个人死去的愿望。

  
因此根据目前的社会现象可以推论:江泽民没死,只是处于虽生犹死的状况。

  


  
参考消息:

  


  
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110707-00000006-jct-soci

  
江沢民は生きているのか死んだのか 産経vs新華社、真っ向対決

  
J-CASTニュース 7月7日(木)19時13分配信

  
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産経新聞のPDF号外。「詳報は夕刊フジで」との記載もある

  
中国の江沢民前国家主席の動向をめぐる報道が、混乱をきわめている。一時は日本を含む周辺諸国のメディアが「死亡説」を相次いで報じた。国営の新華社通信が「単なる噂」と否定したものの、なお憶測が広がり続けている。

  
江氏をめぐっては、2010年ごろから健康不安説が取りざたされ、11年7月1日に行われた中国共産党創建90周年の祝賀大会を欠席したことから、「重体」説、さらには「死亡説」が一気に信ぴょう性をもって語られるようになった。

  
■香港のテレビが皮切り、日本では産経が「死去」断定

  
例えば、香港のテレビ局ATVは6日夕方、「江沢民氏が病死した」などと報道。1997年の香港の中国返還時のスピーチなど、これまでの江氏の活動をまとめたVTRを2分以上にわたって流し、特別番組の予告まで行う念の入れようだった。ただし、その後、「公式には確認されていない」と軌道修正。特別番組も行わなかった。

  
また、山東省のニュースサイト「山東新聞網」が、トップページに大きなバナー画像を掲載し、「敬愛する江沢民同志は永遠に不滅」との見出しを掲げたが、後にサイトごと閉鎖されてしまった。

  
韓国KBSも「『死亡説』が流れている」などと報じた。KBSは、病院前の警備員とのやり取りをもとに「人民解放軍傘下の301病院に入院したことが確認された」とした上で、「昨晩(5日夜)にはすでに死亡しており、高官が中央に集められている」といった北京の外交消息筋の話を伝えている。

  
翌7月7日の10時前には、日本のメディアでも産経新聞が「日中関係筋」の話として、江氏が7月6日夕方に死去したと報道。関係者の話として、江氏の様子を「脳死」と伝えた上で、入院先の301病院の様子を

  
「厳戒態勢が取られ、共産党や政府、軍の要人が弔問に訪れている」

  
と報じ、ウェブでPDF版の「号外」も発行、「詳報は夕刊フジで」と続報に期待を抱かせた。

  
■新華社通信は「単なる噂」と否定報道

  
だが、国営新華社通信は7日昼、信頼できる情報源からの情報だとして死亡説は「単なる噂」と報道。これを受けて、香港ATVも訂正を出した。これを受けてか産経新聞もトーンダウンした模様で、同日夕方の夕刊フジ(東京C版)では、「死亡」とは書いているものの、1面ではなく4面に背景の解説を加えた扱い。明らかにトーンダウンしている。

  
北京の状況はどうなのか。

  
「7月6日に301病院の前を通ったが、特段変わった様子はなかった」

  
と話し、「死亡説」に懐疑的なのは、北京在住ジャーナリストの陳言さんだ。陳言さんは、1997年にトウ小平氏の死去を特報した加藤千洋·朝日新聞中国総局長(当時)のケースを引き合いに、

  
「加藤氏は、トウ氏が死去した301病院の前に張り付いて、病院に入っていく車のナンバーから党幹部の出入りを確認している。その上で、『死亡』と打った。それに対して、今回の『死亡説』の根拠は噂の域を出ないものばかりで、なにひとつ確認されたものがない」

  
と、取材の甘さを指摘している。

  
ただし、死去が確認されていないにしても、各メディアでは「容態は深刻」との見方が大勢だ。訃報を事実上「公式発表」するはずの新華社通信が報じる前に、こうした死亡説が多数流れる背景には、「中央政府が国内メディアに対して訃報の準備をするように指示したものの、『解禁』前に情報がもれたか、フライングによるのでは」という、うがった見方もある。

  


  


  
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110707-00000050-scn-cn

  
中国前国家主席·江沢民氏の訃報が錯綜−フライング相次ぐ

  
サーチナ 7月7日(木)14時53分配信

  
7月6日、江沢民·前党総書記の訃報のフライングが相次いだ。香港アジア電視台が夕方6時のニュース番組で江沢民死去と報道し、夜に特別番組を放送すると告知したが、特別番組は撤回した。中国国内の山東ニュースネットでも「敬愛する江沢民同志は永遠に不滅です」とのタイトルで白黒の哀悼ページを江氏の写真付きでアップ。

  
しかし、まもなくこのニュースサイト自体は強制閉鎖となった。一方、中国独立系時事雑誌、財経は独自ニュースとして江沢民氏の危篤を報じ、香港フェニックスネットもこの記事を転載したが、ともにすぐに削除された。フランスの華字メディア·RFI華語は上海の特約記者の情報として、危篤状態であるが、まだ死亡は確認されていないという。

  
米国に拠点をおく華字ニュースサイト博訊は、上海筋の情報として、江氏が肝臓がんで入院中でこん睡状態だと報じたあと、これを撤回、北京筋の情報として、江氏は風邪をひいて熱をだしたが、すでに回復していると伝えた。

  
一方、微博(中国式ツイッター)ではかねてから、7月1日に上海で発病し、北京の解放軍総病院(301病院)に入院するも4日零時40分に死亡といった一連の呟きが流れるなど、まことしやかなツイートが流れ、江沢民の名や301などの数字は検索できなくなった。

  
死んだり生きかえったりと、せわしない話だが、中国国内の主要メディアが江氏死去の原稿準備の指示を受け、なおかつ、報道解禁の知らせがあるまでは、入院や危篤といった病状にまつわる一切の報道について禁止されていることはほぼ間違いない。先の建党90周年に江氏が欠席したのは病気のためだと言われている。

  
一般に元国家指導者といった重要人物の死去が報道解禁前にフライングのような形で報じられることは極めて珍しい。来年の第18回党大会という政権交代の大政治イベントにまだ1年以上も時間がある今の時期に、江氏が死去してしまうと、江氏の支持を受けてきた、胡錦濤国家主席の政治的ライバルたちの影響力にも陰りがでて、次期政権の人事動向も変わってくると見られるだけに、メディア側も関心が高いようだ。

  
特に江氏の覚えめでたいと言われる薄煕来·重慶市党委書記は、隙あらば李克強·副首相から次期首相の座を奪いたい意欲を示している。食品安全など李氏が担当する政策は芳しい成果をあげておらず、新華社が今さらのように下水油(地溝油)の摘発方法はないと報道することからも推察できるように、劣勢に立たされている。

  
一方、江氏は上海市に投資を集中させ貧富の差を拡大させたり、その横柄な顔つきや態度から庶民受けは非常に悪く、微博やツイッターやネット上で江氏死亡説をネタにしたジョークも多数でており、「え、まだ生きてんの?」「死んでいないに100元かける」とか、「いつになったら、江総書記、われわれはずっとあなたのことを忘れません、って言っていいの?」といった書き込みも登場しては削除されている。(編集担当:三河さつき)

  


  


  


  
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110707-00000634-san-int

  
中国指導者の生死情報は最高機密「書き込みあれば削除せよ」

  
産経新聞 7月7日(木)22時34分配信

  
江沢民前国家主席の死亡を伝える報道や情報について、中国政府は厳しい規制をしている。中国のメディア関係者によると、共産党中央宣伝部は7日午前、国内の各インターネット業者に対し、「江沢民同志の死亡や病気に関する海外の報道を転電してはいけない。書き込みがあれば削除するように」との旨を通達。これを受け、中国のインターネット上では、江氏の名や入院先の「301病院」はもちろん、「長江(揚子江)」など、江氏を連想させる言葉まで、検索や書き込みが規制された。

  
厳しい規制の中、奇妙な“事件”も起きている。中国·山東省当局の公式ニュースサイト「山東新聞網」では6日夜、江沢民氏の「訃報」が一時大きく報じられたが、すぐに削除された。同サイトは7日現在、閉鎖されている。

  
中国では引退者を含め、国家指導者の死亡情報や健康状況は最高の国家機密とされている。政情や社会情勢への影響を避けるためだ。医師など関係者がそれを外部に漏らすことは「機密漏えい罪」などに問われかねない。

  
中国筋によると、指導者が脳死や心肺停止などの状況に陥っても、生命維持装置によってしばらく「生存」させ、政局に与える影響が最も少ないタイミングを見て、当局が死亡を公式に「宣告」したことが少なくないという。1997年2月に死亡した元最高指導者のトウ小平氏や、2007年6月に死亡した上海閥の大物、黄菊副首相(当時)もしばらく、生命維持装置によって「存命」し、死亡発表のタイミングがはかられていたといわれている。

  
功績の評価なども、家族の意志よりも、党内の最高権力機関である政治局常務委員会の判断で決められてきた経緯がある。

  


  


  


  
江氏死去報道を非難=「極めて憤慨」と中国高官

  
【香港時事】7日の香港中国通信社電によると、中国政府の香港出先機関である連絡弁公室の高官は、香港のテレビATVが6日夜に「江沢民前中国国家主席が死去した」と報じたことについて「全く根拠がない」と指摘した上で、「報道の職業倫理に甚だしく違反するもので、極めて憤慨している」と非難した。

  
ATVは7日昼のニュースで、江氏の死去説を否定した新華社電を伝え、6日夜の報道を訂正した。さらに、この報道を取り消す声明を出し、江氏や視聴者に謝罪した。7日付の香港各紙によると、ATVは6日夜、江氏に関する特別番組を放送する予定だったが、取り消したという。(2011/07/07-18:26)

  


  


  


  


  


  


  


  


  
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201107/2011070700425&rel=y&g=int

  
新華社、江沢民氏の死亡情報を否定=「容体は深刻」と消息筋−中国

  
【北京時事】中国国営新華社通信は7日、江沢民前国家主席(84)の死亡説について、権威筋が「全くのうわさである」と否定したと報じた。中国の国営メディアが江氏死亡説について報じたのは初めて。ただ、中国の消息筋は同日、「江氏の容体は深刻な状態にある」と明らかにした。関係者の間でも江氏の容体をめぐる情報が飛び交っている。

  
中国メディア関係者に対し、当局が追悼準備の指示を出したとの情報もある。(2011/07/07-13:38)

  


  


  


  


  


  


  


  


  


  
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110707-00000140-jij-int

  
江氏死亡説封じに躍起=容体なお「危ない状態」―中国

  
時事通信 7月7日(木)20時5分配信

  
【北京時事】中国当局は7日、江沢民前国家主席(84)の死亡を伝える報道や情報の封じ込めに躍起となった。国営新華社通信を通じ「全くのうわさ」と死亡説を否定。しかし、江氏の容体については口をつぐんだままで、楽観的な見解を示す中国筋は少ない。

  
同日行われた中国外務省の定例会見でも、江氏の容体を問う海外メディアが相次いだが、報道官は「新華社を読め」の一言。同じ質問をしようとすると「補足はない」と語気を荒らげ、問題の敏感さを逆に印象付けた。

  
江氏の死亡説は、インターネット上で5日から広まり始めた。中国国内の簡易ブログでも死亡説をめぐるやりとりが展開された。引退したとはいえ、最高指導者だった人物の生死に関する情報が事前に出回ること自体が異例で、「共産党内部の関係者は困惑している」(中国筋)。

  
江氏の容体に関しては、「危ない状態であることに変わりはない」との見方が依然多い。中国メディアも追悼準備を指示されたもようだ。6日夜には、山東省のニュースサイトが「敬愛なる江沢民同志は永遠に不滅」とする哀悼の言葉を江氏の写真と共に白黒で表示、すぐに閉鎖されたという。

  
一連の死亡説は、江氏が1日の共産党創立90周年の祝賀大会を欠席したことをきっかけに流れ始めたが、国内には「意図的に発信している動きがある」との声もある。今回の情報流布が「江氏の政治生命は尽きたと印象付けた」(北京の外交筋)のは確かで、党内の権力闘争で江沢民派に打撃を与えたことになる。 

  


  


  
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110707-00000957-yom-int

  
臆測呼ぶ江沢民氏情報、「フライング」説も

  
読売新聞 7月7日(木)19時33分配信

  
【北京=関泰晴、比嘉清太】中国の江沢民·前共産党総書記(前国家主席)(84)が病死したとの情報が6日から国内外で広まったが、当局が江氏の健康状態に関する情報を一切公表しないことから、臆測が臆測を呼ぶ事態となっている。

  
江氏が入院しているとされる北京の人民解放軍301病院には7日、海外メディアの記者が次々に訪れた。だが、警備は通常と変わらず、中国の要人が乗る車両の出入りも確認できなかった。付近の住民は「普段と変わらない」と話した。

  
死亡説は、香港のテレビ局ATVが6日夜、「江氏死去」と報じたことから広がった。これに続いて山東省のニュースサイトも、「敬愛する江沢民同志は永遠に不滅だ」と哀悼する記事を白黒の画面で江氏の顔写真を付けて掲載し、その後に閲覧不能となった。

  


  
。。。。。

  




 回复[1]: 举国欢腾 司令官 (2011-07-08 12:17:04)  
 
  

  


  

 回复[2]: 估计还差一个月。 自带板凳 (2011-07-08 17:05:59)  
 
  历史又重演?误报黄菊病逝凤凰卫视曾道歉

  
现代传媒竞争激烈,为抢先报道国家领导人去世的重要消息,部分传媒有时甚至未待官方消息证实就抢先报道。07年5月9日,正值中共十七大前夕,英国《泰晤士报》网站率先报道时任中共政治局常委、国务院常务副总理黄菊病逝的消息,香港凤凰卫视当日傍晚6时左右晚间新闻时段,亦予以报道。

  
不久,路透社援引国务院新闻发言人反驳,指有关黄菊病逝的报道全无根据,凤凰卫视被迫在晚间7时半撤回有关报道,随即更正和道歉,并迅速删除其网站上有关纪念黄菊生前活动的报道。内部消息称,凤凰卫视新闻部管理层需为这次事件承担责任。然而,不到一个月,新华社就发放官方新闻︰「黄菊同志,因病医治无效,于07年6月2日2时03分在北京逝世,享年69岁。」除这次事件外,已非第一次传出中国领导人病逝的谣言。香港和日本媒体在90年代曾分别多次误报邓小平死讯。

  
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5月9号报道了死讯,被辟谣;

  
6月2号才死。

  
差不多有一个月的时差。哈哈哈。

 回复[3]: 哈哈 大汉临离 (2011-07-08 17:38:22)  
 
  蒋介石在文革期间几年之间,不知道死过多少次了,那可是被折腾的死去活来。

 回复[4]: 首发就那么重要么? 科长 (2011-07-08 17:58:15)  
 
  邓小平去世消息哪家媒体首发?

  
一、小平逝世新闻如何传遍世界

  
《南方周末》记者:张悦 赵蕾 (原载2月8日《南方周末》)

  
之前并非毫无预兆。2月17日那个周一,一位朋友约路透社驻中国记者马珍见面,“必须要出来见”。

  
这位朋友的丈夫当时每天出现在301医院(中国人民解放军总医院)。她告诉马珍,邓公身体不行了,另一方面,马珍得到消息,几个中央领导人提前回京,据此,路透社于当天发出邓小平病危的消息。

  
然而,在之前的10年间,国外媒体多次误报邓小平去世的消息,典型的一次是1995年,有国外媒体报道,邓小平已经去世了,无疑,是假新闻。

  
可是这次,马珍相信是真的。周二,在马珍的要求下,香港、东南亚、美国,在世界任何角落,会说中文的路透社记者都被调到北京。

  
新记者们还没有倒过时差,周三晚上就投入新闻大战,就连摄像记者都上了街,“无论如何,去拍点什么回来。”马珍要求他们。

  
并不是只有马珍们知悉这一消息,当时,已有外国记者靠近中南海西门观察到领导人车队的出入。当天晚上,有点冒失的《华尔街日报》记者还跑到了邓家。

  
外国记者们的求证只能通过隐秘方式进行。林洸耀发现,中央电视台15层灯火通明,这证明央视的领导们一反常态,仍在办公。另一路去《人民日报》的同事也带回了信息。此外,天安门广场的警察也多了起来。

  
一切都能交叉印证类似。作为路透社首席记者,马珍拥有独立发稿权,但邓小平去世的消息实在太重大,路透社事先早有要求:这位20世纪最后一位伟大人物的去世消息,必须在新华社确认之后才能发。

  
发,还是不发?马珍打电话给她的领导。领导一番踌躇之后给了一个很有中国特色的答复:自己看着办。

  
事后回想起来,马珍觉得当时已经有99%的把握,可是还有1%不能肯定。“如果你是小报可以赌一赌,如果你是大报,赌错了,你就完蛋了。”林洸耀说。

  
位于三里屯的路透社北京编辑部都在等待。整个世界都在等待。专收新华社消息的电传机仍然保持沉默。早已写好的消息静静地躺在待发稿库中。

  
在2个小时的焦灼几乎到崩溃边缘时,马珍说话了,她只说了一句:算了吧,发了。

  
红色标识的头条也只有一句:邓小平逝世。

  
那一刻,是2月20日凌晨2点42分。2分钟后,电传机响了。

  
于是待发稿库中另一条也同时发出:“邓小平逝世。”新华社说。

  
天亮之后,来自路透社英国总部的消息说,在所有世界级通讯社中,路透是第一家发布邓小平逝世消息的。路透打败了美联、法新、彭勃……闻讯之后,北京编辑部的一个男记者放声大哭。

  
这些细节表明一个客观事实,邓小平是具有世界影响的中国政治家。

  
二、路透社不是最早报道小平逝世消息的媒体

  
赵世龙 (原载:赵世龙的Blog,2月10日)

  
1997年2月19日,中国改革开放的伟大设计师邓小平逝世。

  
到今年,是小平辞世十周年,纪念这位世纪老人的文章多起来,2007年2月8日的《南方周末》记者张悦、赵蕾,在纪念小平逝世十周年的报道中说:路透社是最早报道小平去世消息的。说是最早由路透社首席记者马珍报道了这一消息。

  
乍见此文,脑海中星星闪烁,多年往事逐一在大脑里翻捡,再经多方求证,由列孚先生证实,最后得出判断:这是一则失实的说法。事实上是香港的于品海投资主办的卫星电视CTN中天频道(传讯电视。有二个频道,一个是大地频道,主要是生活及娱乐讯息,另一个是开创了当时中文电视24小时新闻频道的中天频道,中天频道当时在美法英日新加坡及台湾等国家和地区均驻有记者。)全世界第一家率先报道的。当时的CNN、CBS及美联社、法新社和路透社等都是转引自CTN的消息,打破了过去重大新闻均由西方传媒对重大新闻垄断的局面。这是于品海最得意之作。CTN成立后,被外界誉为“神奇小子”于品海,其手上拥有由金庸转让的《明报》、广州《现代人报》、香港《现代日报》、武汉有线电视网络和CTN,俨然成为传媒大亨,或“中国默多克”。

  
南方周末的报道说:据马珍透露:1997年2月17日那个周一,一位朋友约路透社驻中国记者马珍见面,说“必须要出来见”。这位朋友的丈夫当时每天出现在301医院(中国人民解放军总医院)。她告诉马珍,邓公身体不行了,另一方面,马珍得到消息,几个中央领导人提前回京,据此,路透社于当天发出邓小平病危的消息。

  
然而,在之前的10年间,国外媒体多次误报邓小平去世的消息,典型的一次是1995年,有国外媒体报道,邓小平已经去世了,当时香港电视还没有被现在有线台屏蔽得那么厉害,珠三角人也都通过电视收看了这个被误报了几次的假新闻。在97年前,多次传出小平身体欠佳的消息,香港的电视台早早做好了关于小平去世的相关资料片和一生评定,只待确切的消息源一出,即可象按动电脑流程按钮一样,按流程播报。

  
据南方周末十周年的报道说:这次,马珍相信是真的。周二,在马珍的要求下,香港、东南亚、美国,在世界任何角落,会说中文的路透社记者都被调到北京。

  
并不是只有马珍们知悉这一消息,一切都能交叉印证类似。当时,已有外国记者靠近中南海西门观察到领导人车队的出入。当天晚上,有点冒失的《华尔街日报》记者还跑到了邓家去直接求证。

  
外国记者们的求证只能通过隐秘方式进行。有记者发现中央电视台15层灯火通明,这证明央视的领导们一反常态,仍在办公,这可能是出了大事的表现。另一路去《人民日报》的同事也带回了信息。此外,天安门广场的警察也多了起来。

  
而早于1997年2月17日,时任南方周末记者的赵世龙(我),在南方周末编辑部一个小型散会上,报告了邓小平状况非常不好,很可能即将去世的消息,赵并并说出他的深喉透露:“可能就在这两三天了”。当时在场的人有沈颢、徐列,江艺平等人,因为此前有媒体几次误报,当时大家的反映是不信,赵世龙(我)说他的信息来自央视核心部门权威人士,央视内部已经在作相关报道的资料准备了,徐列当时的反映是等下午黄昏看香港电视,那时的广州,可以收看到香港无线、亚视的4个台,但大多数地方不能看到于品海的传讯电视,所以当天的香港电视没有任何关于邓小平身体不好或逝世的报道,于是徐列认为是我信谣,赵世龙(我)不服气,一再向他和沈颢提醒此事的重要性,但一时苦于拿不出有力证据,所以被当作一则笑话哈哈而过。

  
周一,刚刚从粤港周末辞职到南方周末不久的赵世龙(我),向老同事、当时粤港周末新闻版块负责人谢方伟(此事一年后也来到南周,曾任新闻部副主任)、陈明洋(与谢同时过南周,现任南方周末副主编)透露了此事。当时谢方伟态度很游移,他已经在编好几个版了,头版是当时大名鼎鼎的江南藜果黄利国的一篇重头稿件,如果信我,他就得放弃那几个版的料,记得17日中午我对谢方伟说:“你们应该有个计划,即随时废了现在编好的这些稿子,而且要作好随时改发小平去世的新闻专题的准备。现在你就得复查查找相关资料,作好报道的前期准备。”新闻素养相当职业的谢方伟信了我的话,天下午就去图书馆查找相关资料,作了些前期准备,也通知了记者随时待命。

  
18号的下午,我再次向南方周末新闻部的头头们提出此事,要求他们重视此事,但得到的答复“还是看6点半的香港电视有没有发什么消息”。6点半的香港电视还是没有任何关于小平病重、逝世的消息。于是赵世龙(我)下班回家生闷气去了。记得那天后半夜天还没亮,南方周末的主编江艺平的电话打来了,被部下亲切地称为“江姐”的江主编坦诚地说:“小赵,抱歉打搅你休息。请尽快赶到报社开会。你几天前说的事情成为事实了,今晚二点多,南方日报接到省委通知,说小平同志去世了……”

  
小平同志去世的时间是1997年2月19日晚上9点08分,当医疗组认定已回天无术时,医疗组组长、阜外心血管医院院长陶寿淇与301医院副院长牟善初正式宣布‘停止抢救’”。转眼已整整十年。

  
下面是南方周末2007年2月8日的报道:(老闵注:此处略,见上文) 

  
事实上当时的CTN中天频道,已经在他们播发此则新闻之前的午夜十二点,向全世界报道了邓小平去世的消息。所以要么路透社的记者无知,要么不诚实;而十年前的南方周末要么是信息源有误,当时记得好象搜索了好多外电,并没见路透社马珍越来十年后说的在17日当天发出了的“邓小平病危”的报道,当时几乎所有相关媒体都没有太大动作。而十年后的南方周末,又因查找核实信息源再次犯了错误。

  
十年前,没有作好任何准备的南方周末,打了个灰头土脸的败仗,因为这天已经是周三的上午了,往常到时此时,大部份版面已经签好了,中午的十二点是最后截稿期。周三的下午是向各分印点传样和开机印报、并就近向全国发行运送时间,周四上午,全国各地报摊下都会出现这份风行一时的报纸。在只有不到半天的编辑时间时,南方周末只能紧急在头版出了个图片纪念版。听取了赵世龙(我)提醒的粤港周末,当期明显胜过南方周末。

  
被紧急派往江西南昌市郊新建县采访小平在此蒙难多年的赵世龙(我),心情郁闷之级,还是写回了第二周的纪念小平去世专题报道的头版。可是,做新闻的人都知道,这错过了多少好的一次新闻大战登临绝顶。那种机会,好多新闻人一辈子都不会再有一次!

  
三、邓小平死讯抢独家媒体各显神通

  
台湾《中国时报》记者  朱建陵 (原载2月12日《中国时报》)

  
一九九七年二月十九日(正月十三)晚上九时○八分,邓小平的专属医疗组组长牟善初宣布“停止抢救”,宣告出生于一九○四年的邓小平逝世,享年九十三岁。

  
为了因应这一天,海外稍具规模的媒体都会提前准备,由于没料到邓小平如此高寿,有的提前准备了三年、有的提前准备了五年,关于“邓后”的中国大陆政治情势分析,因此每年都必须更新一次,以备不时之需。

  
当年的准备,当然不只是“分析”一项,最主要还是“新闻”。由于担心一旦邓小平病危,北京可能禁止台湾媒体记者进入采访,一些台湾记者改用“笔名”在媒体上发表文章,方便在邓小平去世后以本名闯关进入北京采访。

  
此外,由于担心届时的新闻通讯出现问题(那还是手机、笔记型电脑未普及时代),关于邓小平死亡的消息,许多同业商定以“代志大条了”做为密语,以求能将北京发生的讯息,透过传真的方式在第一时间告知台北。

  
D计画等死队密语通消息

  
与台湾相比,香港人更关心邓小平的健康。因此,早在“狗仔队”出现之前,为因应邓小平突然过世,香港媒体已经有“D(邓)计画”、“等(邓)死队”等名词出现。香港媒体以更庞大的人力、物力投入,等待着这一天的到来。

  
或许等待的时间太过漫长,而过多的风吹草动假消息又影响了判断,因此,当这天真的到来时,许多媒体反而犹豫了起来。十年前的二月间,关于邓小平病危的消息虽然已经闹得沸沸扬扬,但没有一家媒体敢于做出论断。

  
十年后的今天,究竟哪家媒体发出全球独家,报出第一则邓小平去逝的正确消息,仍然有争议。但根据大陆媒体的报道,抢得头彩的是英国路透社。在邓小平咽下最后一口气之后两个小时,一组神秘的号码65329999传入路透社当时驻北京首席记者马珍的传呼机,这是马珍和北京消息人士关于邓小平死亡的传递暗号。之后,马珍的另两个消息人士也传递了同样的讯息,加总三个不同来源的消息,路透社几乎已经99%确定邓小平已经死亡,但他们仍候著,即使只剩下1%的不确定,他们选择继续等待。

  
路透再三确定传讯抢先报

  
最后,实在等不下去了,路透社在隔天(二十日)凌晨二时四十二分发出消息,但这已经是邓小平咽气之后五个半小时。

  
事实上,另一家媒体,台湾中天电视的前身─香港传讯电视,当年在老板于品海的亲自操作下,早在二十日凌晨一时的整点新闻中,就“独家”发布了邓小平去世的消息,还请来大陆出身的新闻人杨锦麟在现场做评论。之后,很长一段时间,传讯电视的宣传广告都是“我们唤醒了世界”,告知世人他们才是那则全球独家新闻的发布者。

  
全球关注一人生死已成过去

  
二十日早上的各国报纸,日本各大早报只有《朝日新闻》在头版以怀疑的态度登了“邓小平死亡?”其他各报都只字未提;香港还有报纸说邓小平已经从医院返家,又是一尾活龙云云。此外,也有部分早报太过迫不急待,在十九日当天就报导了邓小平去世的消息。

  
十年后的今天,虽然究竟谁抢了这则独家新闻仍然有争议,但中国大陆再也没有任何一个个人的生死能引起如此的关注,这既是时代的进步,也是邓小平的心愿。邓小平生前多次说过:“一个国家的命运建立在一两个人的声望上面,是很不健康的,是很危险的。”

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