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「ヒトニクカプセル」

2011 (发表日期:2011-09-24 00:34:35 阅读人次:1514 回复数:5)

  

  
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「人肉カプセル」韓国流入報道 中国が調査を指示

  
2011.8.9 21:21

  
死産した赤ん坊や生後1~2カ月の乳児の人肉からつくられた粉末入りのカプセルが中国から韓国に流入していると報じられた問題で、中国衛生省の報道官は9日の記者会見で、吉林省の衛生当局に調査を指示したことを明らかにした。

  
韓国誌が先月、カプセルの材料となる乳児の遺体などは、ブローカーが吉林省の病院から買い取っていたと報じた。報道官は「中国は法令で医療機関が遺体を売買することを禁じている」と説明、「人体の組織や遺体を売る行為は断固として取り締まる」と強調した。

  
報道によると、カプセルは大病に効く妙薬として韓国で密売されていた。韓国誌が入手したカプセルを分析すると、遺伝子情報が人間のものと99%一致したという。(共同)

  




 回复[1]:  新满洲人 (2011-09-24 22:01:46)  
 
  赤ん坊の胎盤を調理して食すという習慣は、中国のある世代以上の人たちにとっては珍しい話ではないでしょう。吉林省あたりもそうでしょうし、広東省などでも民間で行われていることでした。滋養強壮に効くということです。これは必ずしも野蛮な風習とは思いません。

  
ただそれがカプセルとして販売されるとなると…。

  
外国人から見て中国人が理解できなくなるのは、こんなときです。死んでしまったら、もう人間ではないのでしょうか。よく中国では死者の墓を暴いて辱めを加えたりしますよね。中国人の死生観は、単に近代化が遅れた社会特有の話ではなく、何かもっと深い理由があるのではと思います。誰か説明してもらえるとうれしいです。

  

 回复[2]: 中国人の死生観 鬼 (2011-09-25 00:15:06)  
 
  一説:

  
中国は、元々は、現世的(主に実利的)であったそうです。

  
仏教や道教などの宗教は、「この世で如何に生きるか」を教えるものになったと言われます。例えば、伝統的な中国人の理想の生死は、道教の「仙人」のようなものです。子孫が多く、富み栄え、長寿で、病がないということです。

  
即ち、死後の世界については、有る無しを語らずです。

  
中国人は、心の奥底で、死後の「生」を考えていません。未来を切り開こうと、今を見ています。

  

 回复[3]:  新满洲人 (2011-09-25 14:01:52)  
 
  確かに中国人の「死生観」については、そのように説明されることが一般的のようですね。

  
中国人の現世主義の徹底ぶりは、世界的にみても相当珍しい民族的特徴かと思います。ひとつの特徴=個性である以上、いいわるいの問題ではありません。

  
ただ、やはり中国人の感覚がよく理解できないと感じるのは、たとえば、中国東北地方などによくある「愛国主義歴史教育」施設を訪ねると、亡くなった人たちの骨をそのまま展示として使っているのを観るときです。

  
その衝撃が忘れられません。

  
「ほとけさまをひと目にさらし、見世物にするとは、どんな了見なのか!」

  
思わず叫びたくなります。亡骸をぞんざいに扱うことに驚きを禁じえないのです。日本人の感覚としては、決して許されることではないと心が震えます。しかも、そこに中国の小中学生が社会課見学しているというのも、理解を超えた光景です。

  
もちろんそれは、日本人の「無常観」であるとか、「穢れ」「弔い」などの観念から、人の骨をただのモノとして見ることができないからでしょう。映画「おくりびと」などにも通じる世界です。文化、文明の違いということでしょう。

  
ですから、いくら日本人がショックを受けても、それを善悪の観点でとらえても意味はない。やはり「死生観」の違いに関わる問題だと思いました。

  
もっともこんなことをいうと、虐殺したのは日本軍ではないか、とつっこみされそうですが、話の筋がそれてしまうので、別の機会に。ここで話をしたいのは、上述の展示に見られるような亡くなった人間の骨を中国の人たちはどのようなことを感じながら見つめているのか、聞いてみたいと思っていたのです。

  
ちなみに、同じ光景をカンボジアで見たことがあります。ポルポト時代に虐殺された人びとの頭蓋骨を数百個集めてカンボジア地図の形に埋め込み、プロパガンダ施設で展示していました。カンボジアは仏教国なのになぜ?と思いました。

  
それともこういうのはプロパガンダ施設に特有の現象なのか? 観る者に怒りを引き起こす効果を高めるための。あるいは、ある時代、多くの人命が奪われ、人骨が晒される光景を目にすることになった社会に特有の感覚の麻痺ということなのか? いろいろ考えてしまいます。

 回复[4]:  他抜き (2011-09-25 15:13:41)  
 
  「「ほとけさまをひと目にさらし、見世物にするとは、どんな了見なのか!」」

  
中国でも、昔から「入土為安」という考え方が広く根深く支配しており、日本風でいえば「仏さん」が「死者」の代名詞であると同様に、死者には死者の世界があり、どんな死因であろうと、生前どんな行いがあろうと、死んでしまえばいずれ成仏してこの世とは別の世界に行く、という生死観があるはずです。しかしながら、例の「愛国主義歴史教育」施設の目的は、犠牲者の鎮魂というより、おっしゃったとおり、観る人の怒りを喚起するためのものですから、その目的を達成するためには、たとえこの世とはすでに別の次元の世界にあるものでも、引っ張ってきて手段として利用するわけです。それに、このような施設の発案者は、伝統的な意味での「中国人」ではなく、政治目的の達成のために手段の選ばない無神論者で、そんなことに抵抗を感じていないからではないでしょうか。

  


  
「カンボジアは仏教国なのになぜ?と思いました。」

  
歴史的には仏教国であったとしても、すくなくともポルポトの時代においては、仏教の精神があの国では根こそぎに壊されたと思われます。さもなければ、内戦でもないのにあれだけ大規模な自国民による自国民の殺戮は考えられません。

 回复[5]: カプセル 2011 (2011-09-28 12:34:22)  
 
  新満州人、各位 こんにちは。コメントをありがとう御座います。

  
不愉快な記事を転送して申し訳ありません。本記事のカプセルが胎盤カプセルだと思って下さい。また、いかなる目的でも、なくなった方々のいこつ、いたい等を展示したり、はかを掘ったりすることを強く反対します。

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